職員インタビュー

入構8年目で国際大学大学院へ。多様な環境で学んだこと

櫛田さんは、機構の人材育成プログラムを利用し、国際大学大学院で経営を学びました。学生の9割が留学生という環境で、どんな経験をしたのか、お話を聞きました。

機構の支援は最後の砦

私は国際関係の大学で公共政策学を学びました。2015年に入構し、販路支援部で海外展開支援を担当します。地域本部の海外展開全般を総括する仕事で、予算、実績、専門家管理など、幅広く見ることができました。

2018年に九州本部へ異動。最初の1年は同じく海外展開支援を行い、企業の海外同行もしていました。2年目に企業支援課に異動して、国内の経営支援を担当します。幅広い業種の事業者と関わることができ、すごく刺激的でした。

当時、全国にコロナ禍による緊急事態宣言が出て、経済活動がすべてストップしました。機構の特別相談窓口にも、ひっきりなしに電話がかかってきていましたが、機構だけで対応できる支援策が限られている時期でした。ある時、錯そうする情報に混乱した事業者から「当面の資金繰りが厳しい」と電話がありました。30分ぐらいお話して、ひとつずつ悩みを解きほぐし、一番使えそうな支援を調べて、窓口をご案内したんです。

機構で直接支援することはできなかったんですが、電話の最後に「今日は朝から色々かけているが、つながらなかったり、うちの担当じゃないと冷たくされて困っていた。最後にここにつながってよかった」と言ってもらえました。「機構は企業の最後の砦」と言われるのはこういうことだ、と肌身で感じ、この感覚を忘れてはいけないと思いました。

国際大学大学院への派遣

大学院派遣を志望したのは、自分の中で葛藤があったからです。私は新卒で機構に入ったため、会社経営に携わった経験がありません。ビジネスを知らない自分は力不足だと感じていました。経営全般の知識を体系立てて学びたいと思っていたので、募集を見ていいタイミングだと思いました。

しかし、いざ入学という時に、コロナ禍の水際対策により、留学生の入国がストップ。全授業がオンラインに切り替わりました。せっかく行くなら、他の留学生と一緒に対面で講義を受けた方が望ましいとの会社の判断もあり、一度入学を辞退しました。

いったん本部に戻り、経営支援部の経営支援企画課に入りました。経営支援部の総括として、部署の事業計画作りや業績評価、予算の執行管理などを行うところです。初めての管理業務だったので、最初は戸惑いました。でもやってみると、組織の中での事業の回し方を肌で感じることができ、それがのちの国際大学での学びや、中小機構での業務にも非常に役立ちました。

その後、国際大学での対面授業が再開し、もう一度受験して入学しました。大学院は新潟にあり、全寮制。受験費用、入学金、学費はすべて会社負担です。寮費や教材費も一部補助があり、出向という立場で行くので給与支給もありました。MBAを1年で取るコースに通い、経営の全般を学びました。座学は少しだけで、主にグループワークで実践経験を積み重ねていくカリキュラムでした。

クラスメイトは60か国以上から集まっており、自分では持ちえない意見を出す学生ばかりで、面白かったです。色んなバックグラウンドの人がいて、思い通りには進みません。私は、チームマネジメントの勉強だと思って、どのグループでもリーダーになっていました。短期集中で多くのことが学べ、充実した1年でしたね。

学びを経て感じる変化

大学院を卒業後、本部の国際交流センターで働いています。企業が海外進出しやすい環境を作るため、各国とのネットワークを広げることが主な業務です。ルーティンワークはあまりなく、突然海外機関から電話が来るなど、突発事案の連続です。

センター全体が自分のペースで仕事を進めることができない中で、いったん立ち止まって全体像をとらえる必要があります。組織としてどのような対応策を講じるべきかを、多角的な視点で検討し、取り組めるのは、国際大学で様々なプロジェクトに携わった経験があったからだと思います。

ゆくゆくは、海外展開支援の施策づくりに携わりたいです。今は海外進出に向けた支援を強化している中小機構ですが、今後は海外進出後の企業に対しても、機構ならではの支援ができるのではないかと思っています。

企業の一番の理解者であるためには、人の立場がわかることが大切です。加えて、機構で働くなら、やりたいことの軸がしっかりしている人がいいと思います。機構は、行きたい部署に異動しても、いずれまた異動があります。色んな部署で経験が積めるのはいいことですが、将来やりたいことが明確でないと、方向性を見失ったり、途中でぶれてしまうことがあるかもしれません。自分にしっかり軸があれば、どのような部署でも、知識を吸収していけるはずです。