本部と地域本部でチームを結成。能登半島地震の復興支援の現場で

2024年1月1日、石川県能登地方を震源とするM7.6の能登半島地震が発生し、甚大な被害をもたらしました。震度7を観測した輪島市では、日本三大朝市の一つ「輪島朝市」が地震に伴う火災により全焼。中小機構は地震直後から被災地の状況確認と情報収集を実施しました。その後、朝市側からの支援依頼を受け、「輪島朝市の特徴を活かした施設整備構想検討会」の運営をサポートしました。今回は、輪島朝市の復興支援に取り組んだ北陸本部の早川さん、宮本さん、本部の北村さんに話を聞きました。(取材日:2024年11月15日)

全国から復興支援アドバイザーを派遣

ーー初めに、中小機構に入った経緯を教えてください。

北村:
母が自営業をしていたこともあり、個人事業主の姿を間近で見て、大変だなと感じていました。名古屋の大学と大学院で経営学を学び、就職活動では企業支援ができる組織を探していました。大学院の指導教員の勧めもあり、2016年に入構しました。
宮本:
私は富山県出身で、群馬の大学の地域政策学部に進学しました。公的機関での仕事を探していた時に、中小企業総合事業団(※中小機構の前身組織の1つ)を知り、2001年に入構しました。
早川:
東京都出身で、商学部に進学しました。就職活動はあまり深く考えずに始め、内定もいくつか頂いていたのですが、秋になって「このまま就職していいものか」と不安を感じました。大学の就職相談室で「中小企業事業団(※中小機構の前身組織の1つ)は公的機関なので、民間ではできないダイナミックな事業ができる」と教えてもらいました。その後、OBの話を聞く機会があり、「朝起きて、仕事に行きたくないと感じる日が1日もないくらいやりがいのある仕事ができる職場だ」という言葉に惹かれて1991年に入構しました。

ーー中小機構が行う災害復興支援とは、どのようなものですか。

早川:
中小機構では被災事業者に対し、主に仮設店舗の整備というハード支援と、専門家派遣によるアドバイスというソフト支援を実施しています。専門家とは、大企業での実務経験が豊富な方や、支援実績の多い士業の方などです。現在、機構は全国に約3000人の専門家ネットワークを持っており、被災事業者のニーズに応じた最適な専門家を、復興支援アドバイザーとして無料で派遣しています。

ーー能登半島地震の前に、災害復興支援の経験はありますか。

早川:
はい。2011年の東日本大震災の時、本部に新設された震災緊急復興事業推進部の専任となりました。その際に「復興支援アドバイザー制度」を立ち上げました。これは、機構が全国で展開しているハンズオン支援(※経営支援の専門家を企業に派遣する制度)を基に構築した制度です。当時は約100人の専門家を被災事業者の元へ派遣しました。
2021年からは、災害復興支援部でBCP(※緊急時に備えた事業継続計画)関連事業の立ち上げを、また、福島原発災害等による被災事業者の自立化支援事業にも従事しました。2024年1月1日に能登半島地震が発生し、その対応のため急遽、北陸本部へ異動となりました。
宮本:
私も東日本大震災の時は本部の総務課にいて、早川さんと一緒に震災緊急復興事業推進部の立ち上げに携わりました。当時は、仮設施設のパンフレットの制作業務などを担当していました。2011年7月に高度化事業部へ異動し、被災事業者による施設復旧に関する業務に取り組みました。
また、2018年の西日本豪雨の時は、四国本部にいました。愛媛県庁に中小機構から人を派遣することになり、私も10日間行きました。被災直後だったので、経済産業省チームと一緒に被害状況の確認や、必要な支援の聞き取り調査を実施しました。現在は北陸本部で、企画調整課との兼務で復興支援に取り組んでいます。
北村:
私は、これまで復興支援に携わったことがなく、被災地を訪れるのも能登半島地震が初めてでした。普段は、本部の高度化事業部で経営支援を担当しています。

輪島朝市の復興構想案をサポート

ーー中小機構が支援を行った「輪島朝市の特徴を活かした施設整備構想検討会」とは、どのようなものでしょうか。

宮本:
火災で焼失してしまった朝市エリアを復興するための取り組みです。震災前の輪島朝市は、鮮魚や民芸品などを扱う露店が並び、多くの観光客で賑わっていました。今回、輪島市朝市組合の組合長と輪島市本町商店街の理事長から「若手による復興構想案策定のサポートをお願いしたい」との要望を受けました。20~40代の若手事業者が、朝市エリアの整備のための検討会を開催し、そこでまとめた構想案を理事長と組合長に提出することになっていました。
早川:
最終的な目標は、若手事業者が作成した構想案を輪島市に提出し、復興まちづくり計画に反映することです。
北村:
検討会のために集まった輪島の若手事業者は15名です。事業者に3つの班に分かれてもらい、班ごとに構想を練っていってはどうかと提案しました。構想案の中身自体は、事業者同士が議論して考えます。我々は、事業者の構想をどうやって形にするかという部分をお手伝いしました。
早川:
北陸本部は職員が少ないので、本部から応援に来てもらいました。
北村:
検討会のサポートチームは、北陸本部から2名、そして本部の高度化事業部から私を含む3人の、計5名です。現地の事業者との調整は北陸本部の職員が担当しましたが、支援に関わる部分では、本部・地域本部の区別なく関わっていました。検討会は4月から全12回実施し、毎回の議論内容やアウトプット、当日の時間配分、報告書の構成などを本部職員が中心となって担当しました。検討会の期間中は東京から何度も通いました。
宮本:
高速道路がまだ損傷している中、車で2時間半かけて輪島まで通っていましたね。
北村:
各班に職員が1人ずつ入ってファシリテートしていたので、オンラインでは対応が難しい部分があり、全ての回を対面で実施しました。また、検討会メンバーの中には金沢に避難している人もいるため、金沢と輪島の両方で検討会を実施しました。
検討会の中間発表会の様子
宮本:
8月9日に最終の検討会を開催した後、両組合の役員で会議を行い、構想案を市にどう提案するか議論を重ねました。構想案は9月に輪島市に提出し、9月20日には、目標通り復興まちづくり委員会に提出することができました。しかしその翌日、能登半島豪雨が発生し、輪島市や珠洲市などの奥能登地域が被災。事業者の方々はさらに厳しい状況になってしまいました。
朝市の再開に向けては、現在構想案は完成しているものの、被災建物の解体や区画整理などにまだ時間を要します。その間の支援をどうするか、今考えているところです。

復興の主役はあくまで事業者

ーー復興支援の中で印象に残っていることを教えてください。

宮本:
輪島では、前向きな人が多かったことが印象的でした。地震発生時から家が倒壊したままの人、家族・知人が亡くなった人、水害による土砂や流木がまだ家に残っている状態を、現地で目の当たりにしたからこそ、復興に向けて前向きに取り組む姿が心に残りました。また、「機構に相談すると早く対応してくれる」といった信頼の言葉や、「仮設店舗でまた商売ができてよかった」というお礼の言葉をいただけたのが嬉しかったです。
北村:
最初に復興支援の担当と聞いた時は、具体的な業務が想像できませんでした。初めて北陸へ向かう道中では、新幹線の中でずっと緊張していました。被災者の方々と何を話せばよいのか、未来について考える余裕があるのだろうかと不安だったんです。現場を実際に見たのも、その時が初めてでした。金沢から輪島へ車で向かっている間、道もガタガタで、潰れている家が見えました。日常で感じたことのない感情が湧いてきて、「怖い」と思ったんです。しかし、事業者の方々は「将来こんな風にしたい」と明るく語っていて、とても前向きでした。検討会でも和気あいあいと冗談を交わしながら取り組んでいました。中小機構の役割はあくまでサポートで、復興の主役は現地の方々です。「もうだめだ」と動けなくなっている方への支援は難しいものですが、皆さんが前向きな姿勢でいてくださったおかげで、支援を進めることができました。
早川:
私は立場上、市役所や支援機関等の職員に会う機会が多いです。彼らも被災者でありながら、一生懸命、地域の復旧・復興に向けた支援に取り組んでいます。以前関わった震災復興は、本部からの出張ベースでの支援でした。今は現地の方々と頻繁に会う機会があり、本音で悩みを打ち明けてくれます。自分が北陸本部にいるからこそできることがある、そこを実感しながら支えていきたいと常に思っています。

ーー復興支援の難しさを教えてください。

宮本:
支援を提案するタイミングが難しいですね。中小機構以外の関係機関が行っている支援内容と重複しないような配慮が必要です。ただでさえ大変な時に、同じような話を何度も聞かされるのは負担になります。そのため、事前に地域の支援機関の支援状況を確認するようにしています。
早川:
機構のミッションは事業者支援であり、生活者支援ではありません。発災直後ではなく、生活面での復旧が進んでから私たちの本格的な出番が来ます。
宮本:
まずは生活の立て直しが優先ですから、機構が動き出すタイミングを慎重に見極める必要があります。それまで、被災地へ何度も足を運んでヒアリングを行い、必要な支援について仮説を立て、議論を重ねます。事業者の方々が動ける状態になってから、機構のノウハウを活かした支援を始めます。
北村:
被災地の復興は長期支援が前提となります。一方で、地元の方々には早期復興を望む切実な思いがあります。輪島市は人口が減少しており、金沢に避難された方々が復興後に戻ってくるのかという懸念が、検討会でも挙がっていました。復興を急ぎたい反面、まちづくりには考慮すべきことが多く、難しい問題です。
早川:
課題は数多くありますが、私はどんな要請でも「無理です」とは言わないようにしています。これまでの業務経験と培ってきた人脈を使って、何とか支援したいんです。東日本大震災の時、「工場設備が津波をかぶり、動かない。メーカーとも連絡がつかず、修理できずに困っている」という事業者がいました。全国から対応できる技術系の専門家を、なんとか見つけ出して派遣しました。どんな要望でも、まずは受け止めて、どこかにつなげるようにしています。

ーー最後に、入構希望者へメッセージをお願いします。

宮本:
中小機構は、若手や中途採用といったことに関係なく自由に意見を言ったり提案したりできる組織です。また、さまざまな学部出身者が集まっており、多様な人材がいて面白い組織だと思います。
北村:
機構は中小企業支援を大きなミッションとして、経営に関する相談対応、研修による人材育成、共済制度の運営など、幅広い事業を展開しています。幅広く学びながら成長していく仕事なので、色んなことをやってみたい人に合う職場だと思います。また、全国転勤も機構の魅力の一つです。日本の広くて良い面を見られるのも、いい部分だと感じています。
早川:
あまりコストやノルマに縛られず、民間ではできない仕事をしたいという理由で機構を選びました。相手の要請に基づいて動くので、必要とされる支援ができ、感謝していただける仕事です。中小機構を選んで、まったく後悔していません。どの部門に異動しても、新しい経験や学びを重ねることができ、人としての成長につながります。日々、やりがいのある仕事だと実感しています。