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株式会社協和精工

気が利く「ものづくり」の技術集団

会社概要

事業内容

ブレーキ開発・製造、精密部品加工

本社所在地

長野県下伊那郡高森町山吹1646-5

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設立年

1966年7月

資本金 (2019年5月31日現在)

35百万円

売上高 (2019年5月31日現在)

2300百万円

従業員数 (2019年5月31日現在)

175名

ファンド事業

中小企業成長支援ファンド(出資時点では事業継続ファンド出資事業)

同社に投資を行った出資先ファンド名 (無限責任組合名)

投資事業有限責任組合夢承継2号ファンド(株式会社ソリューションデザイン)

事業概要

気が利く「ものづくり」の技術集団

同社は1966年、光学機器部品・治工具の製造・販売等を目的として宮脇権右衛氏によって設立された。その後ブレーキやクラッチ、半導体製造部品といったように扱う領域を拡大していくが、会社の業績は長らく赤字続きの状況であった。
しかし、2000年、現取締役会長である堀政則氏(以下、堀会長)が社長に就任すると、抜本的な経営改革を遂行、2016年には全国の中小企業の中から経済的・社会的に優れた成果を挙げている企業に贈られる「グッドカンパニー大賞」で優秀賞に選ばれる企業にまで押し上げた。

そして2018年、堀会長はファンドからの支援によって分散していた株式を整理した上で現社長である橋場浩之氏(以下、橋場社長)に経営を引き継ぐことができた。
現在、同社は橋場社長のもと「気が利く『ものづくり』の技術集団」として、主に同社オリジナルブランドであるブレーキ製造の他、半導体製造装置部品や医療機器部品等の精密部品加工、設計から組み立てまでを一式請け負う組立アッセンブリの3つの事業を展開している。

技能を育て、継承していくことの強み

同社主力事業分野の一つであるブレーキ開発・製造分野の製品は、協和精工ブランドとして、OA機器、産業用ロボット、福祉車両、電動車椅子等で採用されている。

  • 協和精工が製造しているブレーキの写真
    同社ホームページよりブレーキ写真

同社のブレーキは、1社1社、お客様の要望を汲み取って作り込む。大手の画一的なブレーキではお客様自らが分解する等して大きさや厚さといった加工を行う手間を要する上、ブレーキの品質保証も難しくなる。しかし、同社はお客様毎にカスタマイズしたブレーキを供給するため、お客様は品質を維持したまますぐに製品に組み込むことができる。
また、脳手術用の顕微鏡機器に採用されているブレーキは手術現場でブレーキの作動音が集中力を乱すというお医者様の要望に対応するため、約3年の年月をかけて開発をした。このように、同社では設計・開発も含めてオーダーメイドでの多品種・小ロット生産の体制を構築している。

一方、ブレーキ開発・製造分野と同等の収益源となっている精密部品加工分野は長らく半導体製造装置関連が売上の中心であったが、一部の企業に依存している状況に危機感を覚えていた堀会長は、医療機器関連への参入を模索していた。当時、車のディーラーから同社へ転職したばかりの橋場社長は医療機器開拓の担当者としてメーカーへ毎月通ったものの価格が見合わず受注できない状況が2年続いた。やっと得られた最初の受注もわずか20万円程でしかなかったが、熱心にお客様の要望に応えていくことで徐々に受注を拡大させていった。今では医療機器関連は精密部品加工分野において半導体製造装置関連と売上を二分するまでに成長しており、景気による変動も少ないことから同社の安定的な収益源となっている。

  • 協和精工による精密部品の加工写真
    同社ホームページより精密部品加工写真

また、近年、新たな柱として取り組んでいるのが組立アッセンブリ分野である。同分野は部品加工にとどまらず、時には設計から着手して加工・組立までを行うことで、ユニット一式を同社で請け負う事業である。一例として、日本海周辺海域の150カ所以上に沈められている地震津波計がある。地震津波計は、地震が生じた時に心臓部である「地震センサー」が揺れを感知して、正確な情報をいち早く関係各所に伝える重要な役割を担っている。地震津波計の製造には水深8000mという過酷な環境の中で25年保証に耐えうる高度な技術力が求められるが、同社はその技術力が認められて「地震センサー」ユニットの組み立てを請け負った。また、宇宙産業関連でも国際宇宙ステーションに搭載されている金属の溶融実験装置の一部について、同社自らが設計者を雇用して設計・加工・組立を請け負う等、実績を積み上げている。

上記のような積極的な取り組みが行える背景について、堀会長は、「我々は、部品加工や接着、組立といった技能を育て、そして継承していくといった取り組みを約20年の歳月をかけて行ってきた。だからこそ、オーダーメイドでの小ロット多品種生産や試作の短納期化等に対応できており、防災や宇宙といった新たな産業に挑戦したとしても自信と責任をもって仕事を請け負うことができている。」と語っている。

ファンドに出会うまでの経緯

従業員の意識も含めた改革

1966年の設立以降、ほぼ赤字続きであった同社は、2代目社長が急逝したことで、2000年、創業者である宮脇権右衛氏の意向で当時製造部長であった堀会長が会社の指揮を握ることとなった。堀会長が3代目代表取締役社長に就任すると、「いい会社をつくろう」という企業理念、そして「私たちは輝きのある自立型企業を目指します」という経営理念を掲げて、抜本的な経営改革に着手した。

生産現場では、例えば、部門毎にその日その日の収支のグラフを掲示して、経営幹部だけでなくパートを含む全社員が日々の経営状況を掴めるようにした。この経営状況の「見える化」は、材料や仕掛品、工具、鉛筆に至るまで、過剰な在庫は持たず必要な時に必要なものだけを仕入れるという考え方、そして、利益をどのようにすれば出せるのかといった経営意識を徐々に醸成していった。
また、工場が二つあったことから、大きくレイアウトを見直してできうる限り一つの工場で生産を行うようにした。このレイアウト変更はヒトやモノが移動していた無駄を排してリードタイムの短縮化をもたらしただけでなく、限られた面積で必要最小限の在庫を持つという体質も作っていった。従業員の意識改革も含めた経費削減・資産圧縮が奏功して資金繰りが改善した結果、同社は年間3,000万円もあった金利負担を大幅に減じさせることに成功した。

営業面でも、堀会長は営業職を置かずに開発・技術・品質保証の各担当者が3人1組となって営業を行う体制を構築した。製造に関わっている各担当者が直接出向くことによってお客様の抱えている問題に対してよりスピーディかつ的確に対応することが可能となっており、このような営業手法によって同社を懇意にする企業も着実に増加してきている。

堀会長は、同社が採ってきた経営の考え方について、「元々、ブレーキ製造は下請けの立場だったが、2004年、元請け企業の撤退を機に我々のオリジナルブランドとして立ち上げた。ブレーキは典型例であるが、我々の経営の基本的な考え方は、規模的にやりづらいこと、面倒であること等を理由に、大手が捨てたものを拾うことにある。ただし、単に拾ってきただけでは事業として成り立たない。大手だと4カ月かかるものを1カ月で行う短納期化、お客様の様々なニーズに応えることができる技術力、小ロット多品種でも利益を出せる生産体制等、社内改革を行ってはじめて高付加価値で差別化されたものを提供できる。」と述べている。また、社内改革のポイントについては、「社長が言って聞かせるよりも、従業員自らが気付くことのできる環境を作ることの方が大切。」としている。

同社は、このような堀会長の各種施策によって2001年に黒字転換を果たすと、2004年には債務超過を解消するに至った。そして、医療機器関連や防災機器関連へ事業の幅を広げていく一方で、事業承継にも取り組んでいった。

ファンドの活用について

ファンドを通じて分散した株式を整理

事業承継に際して、同社の株式は大半が経営に関与していない創業者の親族に分散している状況にあった。協和精工の将来を見据えた時に、予め株式を整理した上で経営を引き継ぎたかった堀会長は、2014年、(独)中小企業基盤整備機構(以下、中小機構)が出資し、(株)ソリューションデザインが運営する投資事業有限責任組合夢承継2号ファンドから支援を仰ぐことに成功した。そして2018年、株式を整理した上で、橋場社長へ無事経営が引き継がれるに至った。

堀会長は、「望んでいたのは、一つは、第三者機関が一旦全株式を買い取ることによって、創業者一族も含めて公平性が担保される形で株式が整理されること。もう一つは、協和精工がこれからも協和精工であり続けるために、社長を社員から選出することを考えていたが、次代の経営陣が後々できうる限り負担の生じない形でファンドから株式を買い戻せること、の二点であった。
おおよそ1年位かけて希望にかなう支援先を探していたが、我々の歴史や理念を理解せず、経営陣を送り込んで協和精工をのっとってしまうようなファンドからのアプローチもあった。そのような中で、大手金融機関からソリューションデザインさんが運営する夢承継2号ファンドを紹介された。そして、夢承継2号ファンドには中小機構さんも出資しているとのお話を聞いて、ハゲタカファンドのようなものではなく公的機関お墨付きの正当なファンドであること、そのようなファンドであれば周りの人々も説得できるであろうことが決め手となり支援を仰ぐ先とした。」と語っている。

事業承継後を見据えた支援

ソリューションデザインは、経営会議や部課長会議への出席のために月二回定期的に同社を訪問した他、会社のイベント等にも参加して株式の整理以外にも同社を側面支援した。
堀会長は、「事業承継では、社長候補が複数人いた。それぞれ個性が異なっていたため、次代の社長及び社長を支える経営幹部の組み合わせとして、どのような形が会社にとってより好ましいのか悩んでいた。社内の者同士であると、逆にそれぞれの人物を分かり過ぎてしまうため、正確な判断ができているのか不安であった。そのため、第三者的立場としてソリューションデザインさんに相談できたことはありがたかった。色々と意見を交わすことで今の社内外の経営環境では、橋場さんが社長として適任であるとの結論を得ることができた。」と語っている。

また、橋場社長も「誰が社長になるのか決まっていない段階から、株式会社の仕組みや取締役の役割等について法的部分を含めて基礎から教えて頂いた。また、日々の売上や仕入れを管理していく体制は既にあったが、事業計画の立て方をはじめ、予算・実績の管理、一個あたりの製品単価に対応する製品原価の捉え方、資金繰りを踏まえた投資採算性の検証方法等、今まで行ってきた数値管理の精度をさらに高めるための手法も学ぶことができた。」と語っており、後継者候補の育成にも一役買っていた。

その他、同社は、労務管理や決裁権限における各種規定の整備について、コンプライアンス上まだ不十分なところがあったことから、管理体制の再整備の支援等も受けることができた。
堀会長は、ソリューションデザインとの関係について、「経営に関しては、基本的には見守りつつも、軌道から外れそうな時には、このようなリスクがあるのでこのようにしたらどうか、といったアドバイスをして頂いた。したがって、我々の経営方針や経営目標を優先的に考えて下さった上で、会社の運営において不十分であったところを適宜サポートして頂いた。」と語っている。

今後の事業の展望について

地域のリーディングカンパニーへ

同社では、6年ほど前から社内塾を開催している。塾長はトヨタ生産方式を体現したシニアのパートの方で、日ごろからその仕事ぶりに定評があった。自分も学びたいという従業員からの発案で立ち上がった社内塾は、今までのQC活動とは違った切り口での改善活動に繋がっており、現在では課長クラスにまで拡大している。また、同社では、前職がカーディーラーであった橋場社長をはじめ、美容師、左官、酒屋、ハウスメーカー、コンビニの店長といった異業種だけでなく、障がい者も含めて積極的に採用してきた。

堀会長は年齢や業種、健常者か否かにこだわらず、それぞれの個性をどのようにすればより活かせるのかに重きを置いた経営を心掛けてきた。その結果、今では様々な背景の人々が集まることで、新しい案件に対しても固定観念に縛られることなく多種多様な意見が飛び交いチャレンジしていく風土になってきている。また、このような取り組みが認められて、2015年には経済産業省による「新・ダイバーシティ経営企業100選」にも選ばれている。

橋場社長は今後について、「現在、大学との共同開発に複数取り組んでいる他、ロボット産業や宇宙産業等へのさらなる展開に向けて色々と種まきを行っている。経営環境が刻一刻と変わっていく中で、現状に止まらず積極的に前に進み続けて、5年後、10年後に収益の柱となるものを育てていきたい。
また、近い未来に開通するリニア中央新幹線は、品川・大阪間を走るが、その丁度中間地点が飯田にあたる。都心に人が流出してしまうことを懸念する声もあるが、私は、飯田駅を降りたすぐ近くには協和精工という会社があって、こんなおもしろいことをおこなっているぞとアピールできるチャンスだと思っている。この地域は、大きな地震が少なく、高い山に囲まれて台風の影響も小さい。近くには日本一綺麗な星空が見えると評判なところがあり、3000m級の山に登りたかったらすぐ目の前にある。このような恵まれた環境の中で、人が集まり、住んで、営んでいく受け皿となれるような企業にしたい。今まで陸の孤島であった場所が日本経済において重要な地域となった時、協和精工がその地域のリーディングカンパニーとなれるように取り組んでいければと思っている。」として、地域も含めて会社を盛り立てていく気持ちを語っている。

経営者へのメッセージ

堀会長は経営者へのメッセージとして、「一つ目に、経営は私利私欲ではできないと私は思っている。社長だけが良ければいいのではなく、社員全体が良くなっていかなければならない。ある意味で経営者は謙虚さが問われている。自分を戒められるのかどうか、そこが経営の難しさである。利益を追求するのが経営であることから経営者にはアグレッシブなチャレンジ精神が求められる。しかし、社長としての報酬はもらうにしても貪欲になりすぎず、少し控えめにして社員や地域にその分を還元していくという公的な考え方が必要であると思っている。

二つ目に、健康であること。経営者は身体的・精神的なストレスに常にさらされ続けるが、自分の肉体が健康であれば精神的な部分も健全性をある程度保つことができる。経営を行う上では、健康に気を付けながら身体面も鍛える等、自分自身をしっかりと管理していくことが重要である。」と述べている

また、橋場社長は、「私が社長になろうと決めた中に、ある一つの問いかけがあった。それは、『あなたはなぜ、なんのために経営するのですか』というもので、私が最終的に出した答えは、『愛するものを守り、それらをつなげていくために』というものだった。家族、社員、お客様、地域、さらには地球の環境も含めて、愛するものがまずあって、同じような思いを持った仲間達と共に愛するものを守っていきたいと思ったからこそ、社長になろうと決意した。その時の思いを今後も大事にして経営を行っていきたい。」として、時には逆境にも立ち向かわなければならない中で、経営者としての原点がどこにあるのかを意識することの重要性を語っている。

  • 取締役会長堀政則氏の写真
    取締役会長 堀 政則
  • 代表取締役社長橋場浩之氏の写真
    代表取締役社長  橋場 浩之

事業継続ファンドの運営者の声

同社を投資するに至った判断のポイント

当社は長野県下伊那郡で業歴30年を有し、高精密の金属切削加工を中心に安定的な業績を上げ、地域雇用・経済の発展に寄与している地域優良企業です。一方で、創業家の株主や経営陣の方々が高齢となり、「株式」と「経営」の承継に課題がありました。

堀社長(当時)が当社の将来像として「幹部社員によるMBO」による事業承継を企図され、その後継経営陣の育成に腐心されていましたが、自社内のみでの取組には限界があると感じていらっしゃいました。その状況下、夢承継2号ファンドにご相談を頂く機会を得、ファンドが上記「株式の承継」を資本面で支援し、「後継経営陣の育成」をハンズオン型の実践的支援によりサポートすることで、堀社長(当時)の目的に適い、夢承継2号ファンドの投資理念にも合致することから、投資実行に至りました。

事業承継ファンドの視点からみた同社の成功要因

当社には堀社長(当時)という「良いお手本」が存在し、将来「自身が後継者に経営を譲ること」を前提に、自社の事業基盤の整備や候補者の人選等を計画に進めてこられたことと、選抜された「候補者」の方々が、「自身が会社の経営を担うこと」を早期に意識し、その後の後継者育成のプログラムに精力的・能動的に参画されたことだと思います。

加えて、ファンドが関与して以降、後継経営陣候補の方々との間で、会社経営の実践的課題を協働するシチュエーションを演出できたことがあげられると思います。
生産効率を飛躍的に改善できるプロジェクト「工場統合プロジェクト(2ヶ所を1ヵ所に集約)」を通じて、中期経営計画の策定実務、投資採算判断・管理の具体的な手法をファンドから提供支援。
後継経営陣が主体となって外部業者折衝や採算分析、社内プレゼン、定期的な報告会の主催等を通じて、社内でのリーダシップを醸成・発揮できたことです。

株式会社ソリューションデザイン

  • この事例は取材した当時の内容をもとにとりまとめを行っているものです。
    従いまして、現在の企業様の事業内容等と異なる場合がございますので、予めご了承くださいますようお願いいたします。
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