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エピクルー株式会社(オフィスパーク大村)

ブランド開発でエピタキシャル部門でのグローバル化No.1を目指す

半導体製造装置のメンテナンスから自社ブランドのメーカーへと、急成長ぶりが注目されるエピクルー(株)。2003年に東京都町田市から長崎県大村市のオフィスパーク大村に本社を移転させてから3年、メンテナンス事業で蓄積したノウハウを活かし、開発拠点の整備とともにさらに大きく飛躍しようとしている。

半導体製造装置のメンテナンスから出発

「半導体製造のプロセスに『エピタキシャル工程』があります。簡単に言えば、“化学反応をさせる”機械による工程ですが、私たちはこの部門に特化した製品や技術サポートによる事業展開を行ってきました。社名エピクルーの由来はエピタキシャル業界のクルー(乗務員)でありたいという社員一同の思いを込めたものです。」米国の大手半導体装置メーカーに勤めていた岡部晃代表取締役が、同社製品のメンテナンス会社を東京都町田市に起こしたのが1999年。創業時の社名はシーエックスイージャパンで、エピクルー(株)に変更したのは2005年からである。「メーカーがサポートをしない古い装置のサポートをする会社としてスタートしました。装置の立ち上げ作業から故障時の修理、トラブル対応、定期メンテナンス、装置のコンバージョンにも対応します。パーツの供給、修理もしますし、また、リファビッシュといい中古装置の部品交換、改造、特別仕様に合わせての組立て等を行うことで新規同様のパフォーマンスを引き出せるように再生するサービスもしています。」その他、ユーザーの工場内にてオペレーションやメンテナンス作業等に関する各種トレーニングも行う。
本社社屋の外観と岡部代表取締役。

長崎への移転とメーカーへの道

「中古装置は短納期で設備投資が安くすむということで需要が増え、町田の工場では対応ができなくなりました。しかし、町田周辺には工業団地が少なく、条件にかなう場所がありません。そんなときに私の出身地である大村の当団地を紹介されたのです。」 2003年1月にオフィスパーク大村に進出、本社機能も移転し、町田の社屋は東京支社となった。選択にあたっては、長崎空港に近接していることも大きな決め手であった。東京にも日帰りが可能であること、また今後の事業展開を考える上で中国や台湾等のアジアに近いことも魅力であった。長崎進出の翌年には同地に新たに土地を購入し、半導体製造装置研究所を立ち上げる。自社ブランドの開発の拠点である。「5年、10年先を考えたとき、メンテナンス会社だけでは市場の波に翻弄されやすく、需要の頭打ち等の課題点を克服するためには核となるビジネスの構築を図る必要がありました。」それが自社ブランドの製造装置をつくること、メンテナンス会社からメーカーへの転身である。創業当初から目標としており、社員5〜6名の時代から開発への投資は行ってきたが、その実現を確信したのはメンテナンス事業を通じて獲得し、蓄積していった製造技術に関するノウハウによる。「リファビッシュ(中古再生)によって組立の技術が習得できました。またオートローダー(自動搬送ロボット)システムにかかわることで自動化の技術を、コントローラーのソフト開発によってソフトの技術が我社のノウハウとして蓄積されました。これらの技術を合わせれば、自社ブランドの装置の開発も可能なのです。」
メンテナンス会社として培った技術をベースにメーカーへの転身を遂げた。

ユーザーのニーズを知る強みを活かし

ノウハウの蓄積以上に財産になっているのが、メンテナンス事業でつきあいを深め、同社のファンになってくれたエンドユーザーからの意見と支援であると岡部代表はいう。エンドユーザーのニーズを十分に理解しているという自信も強みである。「エンドユーザーに利益を与えられるような提案をし、そのための対応ができるような会社でありたい。今までもそうでしたし、そしてこれからも変わらず継続していくことが我が社のスタンスです。メーカーになっても今まで以上にサービスを強化していきます。ただ、メーカーになったら、その製品に対しては全責任を負うことになります。逃げることはできないわけで、責任は重く、また開発はエンドレスに続けねばなりません。一旦漕ぎ出したら止まることが許されないわけですから。」既に本格的な生産に備えた工場用地の手当てもすませ、着々と計画は進行している。今後、展示会等あらゆる場を通じてエピクルー・ブランドをより広く知らしめることが重要となる。また国内にとどまらず、広く海外も視野に入れており、その拠点となる人的ネットワークの構築も怠りない。

(2006年1月取材)

海外も視野に入れた更なる発展に向けての準備が進められている。