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仙台湾興業(石巻市中島町仮設事務所)

仮設からの報告【第9回】─宮城県石巻市2─
震災前よりいい会社に

仙台湾興業(石巻市中島町仮設事務所)

出張から戻る途中で地震に

仙台湾興業 島生巌専務仙台湾興業 島生巌専務
 石巻市中島町の石巻工業港に面した臨港地区に完成した「石巻市中島町仮設事務所」に入居した仙台湾興業は、石巻港に入港する貨物船の繋離船作業を手掛ける港湾関連企業。日本製紙石巻工場を筆頭に、飼料、合板工場など臨港地区に立地する大型工場に資材、燃料を輸送する船舶の入出港作業に必要なロープ作業を行ってきた。
 3・11震災で、日本製紙のチップヤードの前にあった事務所と倉庫は6メートルを越える津波で跡形もなく流され、所有していた作業船のロープボート2隻も失った。地震発生時、島生巌専務(36歳)は、社長と一緒に会議のため仙台に行った帰りの高速道路を降りた辺りで激しい揺れに見舞われ宮城県沖地震の経験から「地震の後は、津波が来る」と判断、事所に残っていた部長らには「直ちに逃げるようにメールを送り」、事務所に寄らずに高台地区に避難、作業員も全員帰宅して無事だった。
 

震災後の初仕事は政府の救援物資を積んだ船

 事務所があった臨港地区に入ったのは津波の水が引いた3日後だったが、何も無くなった事務所、被災した石巻港そして日本製紙工場などを見て、「これでは何年も仕事はないだろう」と絶望感に襲われながら「とりあえず1人だけ残して申し訳なかったが解雇し、来るべき時に会社が再開できるように備えよう」と考え、"休業"の道を選んだ。
 「われわれの仕事は、港が復興し、工場が再開し、物流が復活してはじめて出てくる。それまで会社の体力を温存させておかなければならない」と考えたからだ。
 その覚悟があったから、事務所を社長の自宅や仮事務所と移動しながら事業再開の準備を始めた。そうしている矢先の4月1日に、政府の救援物資を積んだ船が石巻港に入港することになり、その入港の繋離作業の依頼が舞い込んだ。
 震災後初めての仕事で「涙が出るほど嬉しかった」と島専務は振り返る。その後、救援第2船が入港したのに続き、4月23日には大型船が合板を積んで入港した。また石巻埠頭サイロが7月、日本製紙も9月には工場が再開、これらの入港が予想以上に早く復活したことで、同社の仕事も再開された。

 

仮設で本格復興までの力を付ける

 中島町仮設事務所は、県の港湾関連用地に昨年12月26日完成、1月の新年明けとともに入居した。港に面した場所のため、事務所、休憩室、倉庫に3分割して使用している。作業船、社用車、機器類なども順次揃えている。「現在の仕事は、震災前の約50%」だが、「仮設で本格復興までの力を蓄えていきたい」という。「自分が考えていたより早い回復で、元に戻ることはできるかも知れないが、ゼロからのスタートなので震災前よりいい会社にするという気持ちで頑張っていきたい」と若い経営者らしく前向きに宣言する。


 

亀山 紘・石巻市長

本格復興へ今年が「勝負の年」

亀山 紘・石巻市長石巻市長
亀山 紘氏

 石巻市は、東日本大震災で死者・行方明者3800人の犠牲者を出すなど他の地域にはない極めて甚大な被災を受けました。そのため住民の命をいかに守るが最優先の課題となっています。現在、応急仮設住宅、見なし仮設住宅に1万4500世帯の方が住んでおり、住民の生活を取り戻す住環境整備に取り組んでいますが、住民の方々の将来に対する心の不安は消えていません。住民や中小企業の方々が将来に対して希望が持てるようになるには、まだ時間がかかるというのが現状です。
 震災後の石巻は、復興のトップランナーとして走って来ました。引き続き国の支援メニューを活用して取り組むことで、様々な形で事業が立ち上がり、今年1年で復興の兆しを市民の方にも感じていただけ、将来に対する見通しもできてくると思います。今後3〜5年間で社会インフラを整備する方針で、それが本格的に始動する"今年が勝負"だと考えています。
 産業面での復興では、石巻港に集積する製紙、合板、飼料、鉄鋼、造船企業がいち早く生産を再開しました。半島部に45の漁港があり壊滅的な被害を受けましたが、海とともに生きてきた浜の人たちは、立ち上がりが早く、養殖業の再建に取り組み、仮設施設を上手に活用して、全国からの支援もいただき活気を取り戻しています。
 石巻市の人口は、震災前の16万3000人から約1万人減りました。人口減少を食い止めるには既存産業の復興、新産業の育成が不可欠です。ICT(情報通信技術)、新エネルギー、環境などの新産業育成と企業誘致をすすめ、本格復興に向けて加速していかなければならないと考えています。

 

【入居仮設施設】

平成24年6月15日発行 第1074号