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相馬ブレード(駒ヶ嶺地区仮設事務所・倉庫・工場)

仮設からの報告【第1回】─福島県新地町1─
2カ月で事業再開

相馬ブレード(駒ヶ嶺地区仮設事務所・倉庫・工場)

 

 福島県新地町は、福島県浜通り地方の最北端、相馬市に隣接した宮城県境に位置する“海・里・山” ののどかな町だった。
 しかし、3月11日の東日本大震災とその直後に発生した10メートルを超える巨大津波で、漁港と海水浴場の名所だった釣師浜はもちろん沿岸部を中心に壊滅的な被害を受け、町は一変した。人口約8500人の町で死亡・行方不明者109人、500戸を超える住宅が全半壊、浸水は全体の5分の1の約904ヘクタール、JR常磐線新地駅は、駅舎・ホーム、電車もろとも流失し、現在も復旧の目途は立っていない。

 

事業再開に奔走

「相馬ブレード」の藤田修社長「相馬ブレード」
藤田修社長
 完成した「新地町駒ヶ嶺地区仮設事務所・倉庫・工場」には、7事業所が入居した。このうち「相馬ブレード」は、沿岸部に立地、津波で工場が全壊した1社である。中小機構が整備した相馬中核工業団地・西地区(相馬市大野台)に石川島播磨重工業(IHI)が進出したのに合わせて、東京都田無市から移転、藤田修社長が、新地町に“新創業” した。IHIと関連会社ICC(IHIキャスティング)に部品を納入する金属研磨加工の会社で、新工場を開設して3年半、順調だった会社が3月11日で、「自宅、会社、全ての財産を失った」。
 新地町は福島原発から50キロ離れているが、子供らへ原発の影響も考えて、新潟(苗場)に保有するマンションに従業員とその家族ともに避難した。しかし、藤田社長は、自分だけ戻り、事業再開に奔走した。幸い新地町の支援を得て、駒ヶ嶺工業団地に仮設工場を建設、わずか2カ月後の5月12日に工場を再開させることができた。早期再開は「従業員の生活安定には事業再開が先決」という決断だった。
 

最短3年で復興を目指す

「駒ヶ嶺仮設施設」の工場棟「駒ヶ嶺仮設施設」
工場棟
 9月30日完成、町に引き渡された「駒ヶ嶺地区仮設」は、相馬中核工業団地・区画にあり、事務所棟に10月1日から入居、工場棟は昨年末から本格操業開始。
 新地町が中小機構から譲渡を受けた相馬中核工業団地・東地区(相馬市光陽と新地町駒ヶ嶺)の一部で、納入先であるIHIが立地する西地区に車で10分足らずの距離。東地区の相馬共同火力新地発電所の裏手にあり、発電所が防波堤となり津波の被害を免れた地域で、藤田社長は、「最高の立地」と太鼓判を押す。
 「現在、社員は役員を含めて28人。幸い仕事量も1社ではこなせないほど増えている。さらに役員を除いて30人態勢が当面の目標」という。さらに「中小機構さんに作っていただいた仮設工場なので有効活用しないといけない。年末には機械設備が入るので、50人まで大丈夫」と次のステップを見据えている。
「復興は自立。自力で会社を最短3年、最長5年で復興させる。5年かけて駄目なら一生できない」と断言する。帰り際、藤田社長は「3年後にまた取材に来て下さい」と声をかけてきた。その表情には、復興の道筋が見えてきた明るさが窺えた。
 

 

【入居仮設施設】

平成24年1月15日発行 第1064号