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大勝造船(南三陸町)

大勝造船・千葉悟様大勝造船・千葉悟様

─被災前の営業はどちらで行われていましたか。

 南三陸町志津川大森町で造船業を営んでいました。昭和46年から個人事業として業務を開始して昭和61年に有限会社にし、震災前は13名の従業員を雇用していました。

 

─お取り扱いされていました商品・サービスやお仕事の内容をお聞かせください。

 20トン未満の小型船舶の造船と修繕を行っています。新たに船を造るのはもちろんですが、修繕や船底に付着するフジツボや海藻などを取り除くために船を陸に揚げる上架も行っています。宮城県及び岩手県の漁業従事者が主な顧客ですが、北海道など県外から注文がきたこともあります。

 

─被災の状況をお聞かせください。

 工場が海に近いこともあって、地震の後すぐに従業員を帰し、自分たちも避難しました。震災当時はちょうど16トンクラスの船を造船中で、95%ほど完成した状態でしたが、今回の津波でその船はもちろん、工場や機械、道具類も全て流されました。震災後すぐは町ががれきだらけだったので、私たちも町に入れない状態がしばらく続いていました。
 

─仮設施設の入居申し込みをされた時のお考え、希望などお聞かせください。

 震災後、町に入れるようになって工場に行ったのですが、本当に何もない状態でした。ただ南三陸町は港町ですから、すぐにでも津波で流された船の修理依頼が来ると思い、道具や材料を買い集めてとりあえず対応できるようにしたんです。もちろん工場はないので、現地に行って修理をするという状態が4月の初めから2、3ヶ月間続きました。出張で船の修理をし、戻ってきてがれきの後片づけをするという日々が続きましたね。

 

─仮設施設に入居されて、希望、きっかけとなったお考えを実現出来ていますかお聞かせください。

造船の様子
 出張の修理を行いながら、昨年6月からは現在の仮設施設がある場所の道路を挟んだ向かい側の土地にテントを張って作業を行っていました。10月からは新造船にも取り組みはじめました。その間に、水産庁から船の修理などに対する漁船漁業再生事業の補助金が出ることも決まり、水産の町である南三陸町に船は欠かせないということで、町と相談をしながら今回の仮設施設に申し込みました。
 仮設施設では今年の1月から作業を行っています。広さに関しては充分なのですが、欲をいえば高さが少し足りないですね。造船するには最低でも高さが8メートルは欲しいところです。ですから現在船の上部の組み立てなどは屋外で行っています。船体を上架出来る場所が少なく、総トン数10トン以上の船は今あるクレーンでは吊り上げられません。それだけに早く元の場所に工場を建てられるようにしたいですね。
 

─今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

大勝造船外観
 震災直後から船の修理や造船の依頼が次々にきていて、現在は対応しきれない状態です。水産庁の漁船漁業再生事業の補助金が出るのは平成26年3月末までに完成した船ということになっていますので、それまではこうした状態が続くのではないかと思っています。
 売り上げに関しては震災前より上がっているのは確かですが、船に使用されるFRPなどの材料が値上がりしているためと新工場建設、設備購入等の費用が掛かるため、なかなか厳しいものがあります。
 当社は、新工場を建設する計画をしていますので、一日も早く新工場を建設し、より多くの船の新造や修理、そしてこの場所でできない船の上架を行えるようにして、水産の町南三陸の復興に貢献しなければいけないと思っています。
 

 

【入居仮設施設】

平成24年8月28日取材

企業データ

住所:宮城県本吉郡南三陸町志津川字旭ヶ浦10番
名称:(有)大勝造船

 

大勝水産