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マルケン菊地商店(塩竈市)

マルケン菊地商店・菊地秀行様マルケン菊地商店・菊地秀行様

─被災前の営業はどちらで行われていましたか。

 塩竈市新浜の水産加工団地で海産物の加工業を営んでいました。会社は昭和35年創業で私は2代目となります。

 

─お取り扱いされていました商品・サービスやお仕事の内容をお聞かせください。

 主にアラスカ産のタラの加工をメーンに、関東方面を中心に全国に出荷していました。

 

─被災の状況をお聞かせください。

 私は震災当日東京に出張していたのですが、従業員は海が近いのですぐに避難しなければということで、少し高台の市民プールに避難したようです。幸い津波はぎりぎりのところまで来たようですが、津波による被害はありませんでした。
 ただ、もともと水産加工団地自体が埋め立て地に造られていますので、地盤が弱く加工場は外階段がはがれるなど、大きな被害を受けました。
 

 

─仮設施設の入居申し込みをされた時のお考え、希望などお聞かせください。

マルケン菊地商店内
 震災後は停電、断水もあり、ようやく19日から加工を始めました。その後もガソリン不足や交通インフラが整わないなど、ようやく落ち着いたのは4月に入ってからでしたが、4月7日にまた大きな余震があって振り出しに戻るといった感じでした。
 そして加工場は半壊認定となり、次に余震が来たら安全は保証できないといわれたんです。それでもそこで加工をするしかなかったので、作業中は目に入る場所に水を張ったコップをおいて、地震が来たことがわかるようにしながら仕事していました。余震の度に命が縮まる思いでしたね。
 ですから塩釜水産加工業協同組合の方から仮設施設のお話を聞いたときは、申し込むことになにも迷いはありませんでした。

 

─仮設施設に入居されて、希望、きっかけとなったお考えを実現出来ていますかお聞かせください。

 入居してまだ2ヶ月なので、1年を通して事業を行ってみないといろいろとわからない部分もありますが、入居前に気にしていた排水についても、現時点ではしっかりしているので安心しています。また、この場所は地盤もしっかりしているそうなので、地震のときにも以前よりは安心できますね。
 現時点では震災前と変わらない状況になってきていますが、震災前に取引をしていた大阪、広島、福岡の取引先は、震災の関係で取引をしてくれなくなってしまいました。
 

 

─今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

マルケン菊地商店外観
 一言で魚の切り身と言っても、機械で切るのと人が切るのでは全く違うものです。三陸は昔から海産物を扱ってきた土地ですから、私は切り身を作る技術は一つの三陸の文化だと思っています。しかし、今回の震災で三陸の多くの水産加工業者が被災してしまい、完全な復興には未だなっていない状態です。ですから私は、こうした文化が震災の影響で廃れてしまうのではないかと危惧しています。
 それだけに自分の会社だけでも、この文化をしっかりと守っていけるように、この施設を十分に活用して事業を継続していきたいですね。それが三陸の文化を守ることにもつながると思っています。
 

 

【入居仮設施設】

平成24年3月13日取材

企業データ

住所:宮城県塩竈市新浜町三丁目109番17
名称:(株)マルケン菊地商店

 

佐良スタジオ