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鈴木建設(女川町)

鈴木建設・鈴木富男様鈴木建設・鈴木富男様

─被災前の営業はどちらで行われていましたか。

 女川町鷲神浜字大道で建築工事、土木工事、設計施工請け負いをしていました。100坪ほどの敷地に自宅兼工場があり、そこから少し高台にある旭が丘という場所に事務所を持っていて、会社としては3人の従業員を雇っていました。仕事上、町内の離島の仕事もしていましたので船も所有していました。

 

─お取り扱いされていました商品・サービスやお仕事の内容をお聞かせください。

 主に地元の女川町と石巻市で、住宅の建築、リフォーム、住宅の耐震診断を行っていました。特に耐震診断は、女川町受託の耐震診断はほとんどが当社で行っていました。

 

─被災の状況をお聞かせください。

 震災発生時にはたまたま娘と一緒に、工場近くの家で耐震診断をしていたんです。地震後すぐに娘と事務所に戻り、自分は鷲神浜にある自宅兼工場にいったのですが、2階の自宅は足の踏み場もない状態でした。
 私は消防団にも入っていたので急いで着替え、マリンパル女川の前に係留している自社の船を見に行ったんです。その後すぐに消防のポンプ車に団員4名を乗せて浜に向かったのですが、防波堤が見えないほど水があがってきていたのですぐに引き返しました。引き返している最中に岸壁から津波が来たので、高台にある町立病院に避難したんですが、町立病院にも海水があがってきたのでより高台にある神社に避難して助かったんです。
 

 

─仮設施設の入居申し込みをされた時のお考え、希望などお聞かせください。

鈴木建設作業所内
 震災後は事務所に置いていて被災を免れた4トントラックやバックホーでがれきの撤去を行い、道路の確保などをしていました。また、消防団員として行方不明者の捜索なども行っていました。
 4月に入り消防団の捜索活動も一段落した頃、あらためて工場の跡地を見に行ったら、小さな機械が残されていたんです。それを拾い上げて自分で分解、洗浄したら動いたんです。そのときに、事業を再開するために足りないものはたくさんありますが、自分たちは技術を持っているのだから、事業をやめるわけにはいかない、町の復興のためにも仕事をしなければと思ったんです。
 また、小学4年生の孫が津波で流された家を見て、大人になったら私の仕事をやると言ってくれたんです。ですから、商工会からこの仮設施設の話が来たときには、迷わず申し込みましたね。
 

 

─仮設施設に入居されて、希望、きっかけとなったお考えを実現出来ていますかお聞かせください。

 震災によって旭が丘の事務所しか拠点がなくなりましたし、事務所は現在自宅もかねていますから、この仮設施設は、外に置いておけない建設資材を入れておく倉庫やちょっとしたものを加工するための作業場として使用しています。
 津波ですべて流されましたから、これだけの施設を用意していただいて本当に助かっています。震災前に比べれば、まだまだ足りないものもありますが、車や重機も中古ですが徐々に購入していっています。

 

─今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

鈴木建設外観
 当社は住宅の建築・土木を行っている会社ですから、町の復興とともに仕事はこれから増えていくと思っています。ですからこの施設にいるうちにしっかりと復興の手伝いをしながら、事業を継続していきたいと思っています。そして将来は孫に事業を継げるようにがんばりたいですね。
 

 

【入居仮設施設】

平成24年3月12日取材

企業データ

住所:宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜字十二神59番
名称:鈴木建設(株)

 

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