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ヒノ住器(女川町)

ヒノ住器・日野敏則様ヒノ住器・日野敏則様

─被災前の営業はどちらで行われていましたか。

 女川町の女川運動公園の裏あたりに作業場を借りて、ガラスやサッシといった住宅設備の販売と一部施工を個人で行っていました。この業種自体は20年以上携わってきましたが、6年前に独立したんです。

 

─お取り扱いされていました商品・サービスやお仕事の内容をお聞かせください。

 主に女川町や石巻市の建設会社や工務店から依頼を受けて、ガラスやサッシの納品や施工を行っていますが、個人のお宅からも修理の依頼などを受けていました。

 

─被災の状況をお聞かせください。

 震災当日は石巻市の現場から午後1時頃に自宅に戻り、昼食後に自宅近くにある修理の依頼を受けていたお宅に行ったのですが、そこで地震に遭いました。津波警報が出ていましたし、作業場は大丈夫だろうと思い浜の方には近づかなかったんです。おかげで津波に遭わずにすんだのですが、高台から作業場の方を見たら、船が流れ着いていたので、作業場は津波に流されただろうと思いました。しばらく言葉も出ない状態で、呆然とするしかなかったですね。
 

 

─仮設施設の入居申し込みをされた時のお考え、希望などお聞かせください。

ヒノ住器作業所内
 震災直後は仕事のことより、毎日の生活をどうしようかばかり考えていました。しばらくは町の配給などを手伝っていたのですが、これまで仕事で関わりのあった方々から電話をもらって、自分が仕事をしないとそういう方々に迷惑がかかるということもありましたし、鈴木建設(株)の社長から、「仕事を再開するから準備しておいてくれ」とも言われ、車を借りてガラスの仕入れにいったりしているうちに、お客さんから修理の依頼などもくるようになったんです。
 とにかく無我夢中で過ごしてきた感じです。そんななか、仮設施設ができることを仕事の関係者の方々から聞き、商工会を通して申し込んだんです。
 

 

─仮設施設に入居されて、希望、きっかけとなったお考えを実現出来ていますかお聞かせください。

 津波が引いてから作業場に行ったのですが、仕事関係の道具や車はすべて流されていました。そういう状況でしたし、被災した町のことを考えても、今後仕事はないだろうと思ったので、事業はやめようかと思いました。それでもこうして仮設施設に入居することができましたので、現在はすべてこちらで作業をしています。
 仮設と聞いていたので、正直これほど立派な施設だとは思っていませんでした。今はこうして拠点ができたのが一番ですね。

 

─今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

ヒノ住器外観
 震災後に息子が地元に戻ってきて、私の仕事を継ぐということだったので、昨年11月に個人事業から株式会社にしました。また、震災後に建設組合の組合長からのアドバイスを受けて、組合の中に合同会社のリビルド・女川(*注)を立ち上げたんです。
 女川の町はこれから復興が本格的に始まりますので、仕事は増えると思っています。ですからこの仮設施設に入っている期間に、がんばって仕事をし、将来的には女川町内に土地を求めて工場を建てられるようにしたいですね。

 

(*注)合同会社リビルド・女川
女川の復興のために町内企業が立ち上げた総合建設業の合同会社。

 

 

【入居仮設施設】

平成24年3月12日取材

企業データ

住所:宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜字十二神59番
名称:(株)ヒノ住器

 

あい菜館あさひ