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理容おくだ(東松島市)

-被災前の営業はどちらで行われていましたか。

理容おくだ・奥田秀章様理容おくだ・奥田秀章様

 東松島市大曲字下台という場所で40年以上営業していました。以前は自宅兼店舗で営業していたのですが、10年前に自宅の隣に土地を購入し店舗部分を別にして営業していたのです。新しい店舗がちょうど10年を迎える年に震災にあったのです。
 当店は、地元の方にご利用いただいていた理容店です。震災では多くの常連さんが被災され、なかには亡くなった方もいらっしゃいます。お店での営業の他に、東松島市内の老人ホーム2カ所への出張理容を行っていました。

 

-被災の状況をお聞かせください。

 震災のあった時、私は店舗にいたのですが、妻は老人ホームでの出張営業中でした。幸い夫婦ともにあのすさまじい津波のなかを生き残ることができました。しかし自宅とお店があった場所は、海からは500メートルほどの場所だったので、自宅は基礎しか残っていませんでしたが、店舗は外観だけを残し中は営業できる状態ではありませんでした。店内の機材もほとんど使えるものはありませんでした。
 

-仮設施設の入居申し込みをされたのはどのようなお考えからですか。

理容おくだ
 避難所で生活している時は、とにかく何か仕事をしなければと思っていましたが、この年齢になって他の仕事をすることは難しいと思いました。津波の後、わざわざ避難所まで出向いてくれて「カットだけでもしてくれ」と言ってくださった常連のお客さまがいたり、手元に数丁だけ残ったはさみを見た時に、理容業という職業を続けなさいという暗示なのではないかと考えました。そんなときに商工会をから仮設店舗のお話をいただき、東松島市と中小機構が仮設店舗の支援をしてくださるとの朗報があったので申し込みを決意したのです。店に必要な椅子や道具は、東京や京都など全国各地の理容業の方から支援をいただいて開店することができました。
 震災後、妻は収入を得るために石巻の理容店でも働き始め、現在は私がこの店舗で営業し、妻は週に3回程度石巻の理容店で働きながら、こちらの店と老人ホームへの出張理容を行っています。こうして店を構えることができて、隣接している避難所の方など新規のお客さんも来ていただきますし、生き残った常連の方々も少しずつではありますがお店に来てくれたりしています。そうしたお客さんの顔を見て話をし、散髪できるのがうれしいですね。
 

-今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

理容おくだ
 前途は厳しいと思いますが、この仕事をすることが自分自身でも一番良いのかとも思います。慣れない仕事についても一から覚えなければならないし、怪我でもしたらそれこそ大変なので、とにかく今の仕事を一生懸命するしかないと思っています。今後新しい店を再建させたいという思いはありますが、私は、理容店は地域あってのお店だと思っていますので、まずこの仮設店舗が避難所や地域の方に愛されるお店にすることが再起への第一歩だと思っています。現在お店で使用している鏡は、震災前の店で唯一残ったものを移設したものです。店の再開を進めてくれた常連のお客さんや家族のためにも、この鏡を見る度に頑張らなければと自分を励ましながら仕事しています。

 

 

【入居仮設施設】

平成23年12月9日取材

企業データ

住所:宮城県東松島市大曲字堺堀13番5 復興仮設店舗 堺堀
名称:理容おくだ(理容業)

 

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