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さんぷく(大槌町)

さんぷく 山崎繁様さんぷく 山崎繁様

─被災前の営業はどちらで行われていましたか。

 昭和51年から大槌駅の近くで妻と洋品店を開いていました。学生衣料品を中心に、他店では扱っていないダンス用品、まつり道具なども扱っており、地元の方はもとより隣町の釜石市や山田町からも足を運んでくれる方が数多くおりました。

 

─被災の状況をお聞かせください。

 当時、店におりましたが、天地がひっくり返るほどの激しい揺れに、間違いなく津波が来ると感じました。まず、家にいた妻と義母をつれ高台へと避難を促しましたが、義母はチリ地震でも津波が来なかったので、もし来たら2階にあがれば大丈夫と言い、腰を上げませんでした。
 近くにアパートも経営していましたので、そこにいる人達にも避難を呼びかけようと、義母は妻にまかせアパートへ向かいました。アパートの手前に来たとき、すぐ後ろに津波が迫っていました。急いで階段を駆け登ろうとしたところで波に呑まれ、その後のことは記憶にありません。気がついたときは3階におり幸い一命は取り留めましたが、家に残った妻と義母は津波に呑み込まれてしまいました。
 もちろん家は跡形もなく全て流されてしまいました。
 

 

─仮設施設の入居申し込みをされた時のお考え、希望などお聞かせください。

さんぷく
 何もかも失った中、店の再開など頭の中にはありませんでした。高槻市で介護用品販売を行っている次女から店を手伝ってくれと言われ、むしろやめようと思う気持ちの方が強かったです。何日か避難生活をしている中で、学校は震災後3か月間休校となり、避難所の子供達も全て失い大変な思いをしているのを見て、少しでも制服や運動着、カバン、ズックを手配してやろうと思い、店の再開と言うよりは、何とかしてやりたい、俺がやるしかないとの思いで前に進みました。
 それからは以前からつきあいのあった盛岡の問屋やメーカーに連日車で足を運んだり、泊まり込みをしながら、様々な商品を無償で提供してもらえるよう依頼(交渉)しました。動きが進むにつれ、やはり店舗が無いと不便さを感じていました。それからも自分の力では店は無理だと思いながら日々走りまわっている中、5月に商工会から仮設店舗の話があり、もっと多くの人達に役にたてると思い、ぜひ、参加させて頂きたいとすぐお願いしました。

 

─仮設施設に入居されたきっかけとなったお考えを実現出来ていますかお聞かせください。

 店をかまえられ、ある程度の商品も並べられ本当に満足しています。震災前、町には同じ商いをしている店が8軒ありましたが、ほとんど廃業や店舗再開を断念して、再び開店出来たのは私だけです。メーカーから納品された商品は仕分けや、サイズ調整も1人1人に合わせるため大変な作業ですが、袖を通し喜んでくれる子供達のために再開でき本当に良かったです。以前に足を運んで頂いたお客様も少しずつ増えてきています。売り手とお客の関係もさることながら、安否が判らず会えて無事だったことを確認できることもうれしい限りです。
 現在の仮設店舗は近くに、県立病院、郵便局、歯科医院などがあり非常に立地条件の良い場所です。私の所もそうですが、現在の仮設店舗は、集合型店舗形成で相乗効果もあり、他の店舗もお客さんは上向いているようです。

 

さんぷく外観

─今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

 この先、自分や町がどうなるか不安はありますが、出来れば現在(仮設店舗)の所で本設店舗を再開させたいです。
 

【入居仮設施設】

平成24年3月5日取材

企業データ

住所:岩手県上閉伊郡大槌町大槌第23地割9番(大槌北小学校校庭)
名称:さんぷく

 

山福