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らーめん伝(大船渡市)

-被災前の営業はどちらで行われていましたか。

らーめん伝 菅原より子様らーめん伝 菅原より子様
 平成7年から、大船渡市赤崎町のラーメン屋で、従業員として手伝っていましたが、平成19年にそのまま店を借り、昼はパートさん1人、夜は主人も手伝って営業していました。17人が座れるカウンターだけの店ですが、ラーメンと手作りの餃子が評判で、車で移動する営業マンや地元の皆さん、さらには隣町の方々にも来て頂いていました。

 

-被災の状況をお聞かせください。

 地震の時は店に居ました。ものすごい揺れで食器や厨房の道具が散乱し、ただただ唖然とするばかりでした。地震が収まった後、この場所は海からかなり離れた場所にあるので、ここまでは津波は来ないと信じ、店のあとかたづけをしていました。数十分後に店の外から津波が来るぞとの叫び声に、慌てて外に出ると、みんな波に追われるように避難していて、私も急いで知り合いの車に乗せてもらい危うく難を逃れました。数日後、店を見に行きましたが、店は何とか残って居ましたが、設備類は波や泥をかぶり使い物にならない状態でした。
 

 

-仮設施設の入居申し込みをされた時のお考え、希望などお聞かせください。

らーめん伝
 店はお借りしていたものだったので、直接の損害はありませんでしたが、設備等改めて用意する余裕もないので、店の再開など頭にありませんでした。なにより、末崎町にあった自宅も全て流され残ったのは家のローンだけでしたから。被災後は市内の兄の家で世話になっていましたが、仮設住宅の入居が決まる6月までは、東京の長女の所で暮らしました。
 仮設住宅入居後、以前来て頂いた常連さんから「いつからやるの」とか「早くラーメン食べたい」との声を耳にして、再開しようかなとは思うものの、なかなか前に進み出せない日々が続きました。そうこうしている時期に、主人が知り合いの人が仮設店舗の話をしていると聞き、条件が良かったということとやはり、働かなくては暮らしてはいけないので、それならやってみようと思いすぐ申し込みました。

 

-仮設施設に入居されたきっかけとなったお考えを実現出来ていますかお聞かせください。

 入居が決まってからは「ここで(屋台村)やるよ」と、知り合いには声掛けしました。ラーメンを食べて頂いた後に「なつかしかった」との声を数多く頂き、開店出来て本当にありがたく思っています。仮設店舗の話が無ければ本当に諦めていたと思います。資金面でだいぶ苦労すると考えていましたが、自前以外にライオンズクラブさんなど、皆さんから多くの支援を頂き負担も軽減でき、本当に感謝しています。

 

-今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

らーめん伝外観
 席数は以前の半分ですが、主人にも生活のためにラーメン(仕事)を好きになってくれと言われていましたし、前にやっていた仕事が再開でき、今は先を向いて頑張っています。仮設店舗退去の期限が来た後は、いろんな壁が考えられ、また、店を構えられるかは難しいと思います。ただ、また店を開店させる夢を持ち、前に進むための一歩として、この店で頑張ります。
 

 

 

【入居仮設施設】

平成24年3月5日取材

企業データ

住所:岩手県大船渡市大船渡町字野々田19-1
名称:らーめん伝

 

なにわ屋