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なにわ屋(大船渡市)

-被災前の営業はどちらで行われていましたか。

なにわ屋 新山明男様なにわ屋 新山明男様
 平成22年11月から大船渡市赤崎町で、海辺から5m位に位置する高台の店で、喫茶楽人と陶芸ギャラリーを1人で開いていました。その場所に来る前は大船渡駅近くの店で、串揚げ、お好み焼きを中心とした居酒屋「なにわ」を10年ほどやっており、店内は、会社帰りの方や地元の皆さんの笑い声や楽しい会話で賑わっていました。

 

-被災の状況をお聞かせください。

 ギャラリーのテレビが落ち、冷蔵庫が上下に踊り、家がそのまま海に落ちていくような凄まじい地震に驚くばかりでした。地震後、店の片づけをしていたとき海の異変に気づき、今までになく、海底が見えるほど波が引いていったのです。とっさに津波が来ると感じ高台の家に避難させてもらいました。15分後大きく巨大で恐ろしい津波が目の前にやってきました。翌日、家を見に行きましたが基礎しかなく、50m位離れた場所で家の一部があるだけでした。
 

 

-仮設施設の入居申し込みをされた時のお考え、希望などお聞かせください。

なにわ屋
 一時、町の避難所におりましたが、その後、栃木県の知り合いの所に身を寄せていました。栃木で暮らす2ヶ月間は余震も少なく、津波のことが忘れられるような快適な日々でした。ただ、連日のように被災地のニュースを目にして、その中に映し出される大船渡や陸前高田の知人たちを見るたびに、自分だけがこうした暮らしをして良いのかと思う気持ちが、だんだんストレスになってきました。
 8月に大船渡に帰りたい、自分も大船渡で何かをしなければと思い、市役所になんとかお願いして、仮設住宅に入りました。戻ったものの、何をすればみんなのためになるのかと考えていた時、ニュースで屋台村の話題が出て、みんなからも「なにわの親父がいないとさみしい」と言われ、現屋台村代表の及川さんに、すぐ仮設店舗に参加させて頂くようお願いしました。

 

-仮設施設に入居されたきっかけとなったお考えを実現出来ていますかお聞かせください。

 仮設店舗の入居が決まり、どんな味でチャレンジするかと考えましたが、屋台村内でフライヤーが4台使われると聞き、得意の揚げ物はやめて、気軽に家族で立ち寄れる、お好み焼きにしました。
 再開できる思いに心を躍らせ、スペース的にもちょうど良い広さで、店の内装は自分であれこれ考えながら楽しんで手作りで準備を進めました。特に、焼き台にはこだわりがあり、毎日自分で作ってお客様に食べてもらうので、あちらこちら探しまわり、自分でも納得いく台を大阪から取り寄せました。
 以前もそうでしたが、店で出す味は、大阪神戸で食べる味とほとんど同じにしたくて、食材の一部は本場大阪から直送で提供しています。設備面でもライオンズクラブさんから支援を頂き本当にありがたく思っています。

 

-今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

なにわ屋外観
 お客様が気持ちよく、飲みたいペースが出来るような店づくりを心がけています。仮設店舗の入居期限が切れた後、また、お好み焼き屋をやるかは解りませんが、願わくはいずれかの店舗再開を考えています。今はみんなに来てもらうための再開に向けお好み焼きを焼き続けます。
 

 

 

【入居仮設施設】

平成24年3月5日取材

企業データ

住所:岩手県大船渡市大船渡町字野々田19-1
名称:なにわ屋

 

河合商店