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光研社(大船渡市)

光研社 及川智様光研社 及川智様

─被災前の営業はどちらで行われていましたか。

 昭和36年から事務用品の販売を中心に、大船渡町商店街で私と妻、従業員2人の4人で営業していました。借り店舗の1階で、地元のお客さんを中心に、他店には無い商品を求め近隣の市町村のお客さんにも来て頂いていました。

 

─被災の状況をお聞かせください。

 地震発生時、私は店の近くにある銀行の駐車場におりました。銀行の用事を済ませ、車に乗った途端に揺れ始めました。最初は、車の故障かなと思っていましたが、目の前の電柱や銀行の建物が大きく揺れ、中から人が飛び出してくるのを見て地震だとわかりました。揺れが収まりかけたところで、車を発進させ、店に戻ったところ、停電で薄暗い店舗の中は商品が散乱していて、足の踏み場もないくらいの状況でした。
 車のテレビかラジオの音声で津波警報が出たのを知り、妻と店員は店の向かいにあるホテルに行くことにし、私は車で2分ほどの自宅へ向かい、母親とともに高台へ車で上がりました。その日は非常に寒く、母親を避難所である小学校の体育館ではなく、車に乗せたまま、海を見渡せるくらいの高台まで避難しました。
 そこから街の全てを呑み込んでいく大津波の様子をなすすべもなく、ただ呆然と眺めていました。妻と店員が避難したはずのホテルは上層部を残すのみで、海に囲まれ孤立しているのが見えました。連絡の手段もなく、お互いの安否もわからずに一晩を過ごしました。再会し無事を確認できたのは翌日の深夜でした。
 

 

─仮設施設の入居申し込みをされた時のお考えなどをお聞かせください。

光研社
 友人宅での避難生活が始まって少ししてから、取引先を訪問し始めました。特にお世話になっている社長宅に伺った時、やはり会社の建物は半壊していましたが、「俺はこの先10年莫大な仕事量を抱えたと思っている。いままでどおり、事務用品の納品を続けてくれ」と言われ、何も考えることができないでいた私は徐々に仕事を再開する気持ちになってきました。
 携帯電話が通じるようになり、問屋さんや一部のお客様と連絡が取れ始め、注文がくるようになりました。最初は、6坪のプレハブハウスを購入し、国道沿いに土地を借りて営業を始めましたが、やはり6坪ではどうしても手狭でした。そんな時、商店街の伊東理事長から仮設店舗の話を聞き、願ってもない条件に、すぐ申し込みしました。
 

─仮設施設に入居されて、きっかけとなったお考えを実現出来ていますかお聞かせください。

 仮設店舗に入居でき、場所的にもスペース的にも快適で満足しています。メーカーや問屋さんからも備品などで支援を受けありがたく思っています。

 

光研社外観

─今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

 当面は、納品業務での営業を主体にしていきます。都市計画などの今後の動きを見て、店舗展開を考えたいと思っています。まだ、先は見えませんが、焦りは感じていません。一歩ずつ前に進んでいこうと考えています。
 

【入居仮設施設】

平成24年3月6日取材

企業データ

住所:岩手県大船渡市大船渡町字茶屋前57番
名称:光研社 

 

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