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宝来館(釜石市)

-被災前の営業はどちらで行われていましたか。

  38年前、父が旅館業を始め、母、私、姉夫婦と従業員25名で営業していました。釜石根浜海岸から約30メートル離れた、海抜10メートルくらいに建つ、客室12部屋ある4階建ての旅館です。四季を通し陸中海岸を訪れる観光客と、地元の皆さんには、会食会や宴会などで広く利用されていました。海水浴シーズンは一月以上満館で、彩れたての新鮮な海鮮料理は、どなたにも好評で喜ばれ、部屋から一望できる雄大な太平洋の景観にも、大変満足頂いていました。

 

-被災の状況をお聞かせください。

  会食の準備中でした。いつもと違う揺れに間違いなく津波が来ると感じ、従業員共々裏山の高台に移動しました。高台から津波が来るのが見えたとき、まだ知らずに避難しようとしているご近所の皆さんが駐車場に集まっていましたので、間に合わないかもしれないけど、助けるというより知らせてやらなければとの思いで、従業員と下の駐車場まで駆け下りました。皆さんを従業員と避難させているとき、私は波に呑まれ気を失いました。どれくらいの時間、水の中に居たかは分かりませんが、何か空気の層に包まれているような感じでした。その後、目が覚めてから必死に山を駆け上がりました。
 その後、旅館を確認すると3階、4階はかろうじて残っていましたが、1階、2階は何もなくなっていました。
 

-仮設施設の入居申し込みをされたのはどのようなお考えからですか。

 旅館の3、4階が震災翌日から一時的な避難所となり、3月末まで避難された120人の方達と一緒に暮らしました。一時的な避難所ではありましたが、支援物資等も届けて頂き大変ありがたく感謝しました。その後、皆さんは指定された避難所に移られましたが、私たちはご近所の皆さんと一軒家を借りて生活を始めました。その時期、避難所扱いでは無かったので、支援物資は当然届かない状況で、徐々に食料も油も無くなっていく状況の中で、半ばやけ気味になってきました。その後、避難所に移ってからはボランティア活動も積極的に手伝い、避難所で皆さんと接しているときに、手作りの料理や、暖かい食べ物がほしいとの声を耳にしたとき、そういったものを必要とされているのであれば、ぜひ私が造ってあげたいという気持ちに駆られ、食堂を始めようと決めました。当所キッチンカーでの弁当販売を考えていましたが、市役所と中小機構から仮設店舗の話があり、私がもっとも望んでいた形でしたので、何も考えることなくすぐ手を挙げました。

 

 

-仮設施設に入居し事業を再開されて、どのようなお気持ちですか。

  自分が希望していた食堂が実現出来、本当に嬉しく感謝しています。仮設住宅や復興工事で頑張ってる皆さんに、心のこもった手作りの料理を食べて頂いています。自分としても何とか生きていく糧も見つかりましたし、お客さんにも煮魚定食やワカメラーメンなどは本当においしいと言って食べてもらい、私自身も作り甲斐があります。

 

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-今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

  波に呑まれたときは、これで最後かとも思いましたが、改めて与えられた命の大切さと、生きていれば楽しいこともあるということを、会う人達に食べ物を通して少しでも伝えられればと思っています。被災した旅館の所に防波堤の計画もあるようですが、可能であれば以前と同じ景観のなか生まれ育ったふるさと鵜住居で、旅館を再開させたいです。
 

 

企業データ

住所:岩手県釜石市鵜住居町第3地割7番地2
名称:宝来館

 

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