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西野ラジオ店(宮古市)

-被災前の営業はどちらで行われていましたか。

西野ラジオ店 西野キク様西野ラジオ店 西野キク様
 宮古市田老支所の通りで50年前から営業しています。始めた頃は夫と一緒でしたが、夫に先立たれてからは息子と2人で頑張っています。
 家電製品全般を扱っており、私が店で対応できるものは、なんとかこなしますが、それ以外の分からないことは全て息子にまかせています。古くからご近所の皆さんがお得意さんで、典型的な町の電気屋さんです。

 

-被災の状況をお聞かせください。

 地震の時は、店番で店に居て、恐いほどの長い揺れでした。田老の町はとりわけ地震には敏感で、過去に数多くの犠牲者を津波で失っている事もあり、地震が来たらまず避難するのが鉄則です。地震後いつもの様に店のシャッターを閉めて、鍵をかけ、いつものようにすぐ帰れると思いまずは避難しました。
 今回の津波は余りにも巨大で、町を全て呑みこみ、ほとんどの家を海へさらって行ったのです。自宅も全てが流されなにも残らず、なにがどうなったか理解できない状況でした。息子は宮古市内で電気工事の手伝いに行っていましたが、なんとか無事に戻ってきて、「ほっと」しました。
 

-仮設施設の入居申し込みをされたのはどのようなお考えからですか。

西野ラジオ店
 町のほとんどの人が避難所暮らしをするようになり、電話が繋がるようになってからは、あれがほしいから何とかしてくれないかと電話が多くあったので、自分としてはもう商売は無理だと考えていましたが、少しでも自分らを必要としてくれるのであれば、もう一度やってみようかと考えるようになりました。
 生きてゆくためにも何かみんなの役にたちたいという思いで。その後は、娘にも手伝ってもらい、以前からの問屋さんにも協力して頂き、電話対応での再開を始めました。避難所の近くにテント営業を始めると聞き参加しました。みんないろんなものを必要としてるとは思うもののテント販売は思うように商品展示ができず、とりあえず電源コードの販売から始めました。本当に店があれば商品も展示でき、みんなの希望に少しでも添えるんではないかと思っていましたが、実際この年で店など持てるのだろうか、絶対無理だ。それしか頭には浮かびませんでした。
 そんなおり、宮古市と中小機構が建てる仮設店舗の話が出て息子とも相談してすぐ応募しました。店が持てれば少しでも前の時間を取り戻せると感じ本当にうれしかったです。

 

-仮設施設に入居し事業を再開されて、どのようなお気持ちですか。

 店を開店できて、改めて夢じゃないんだと感じ嬉しい思いでいっぱいで、本当に感謝しています。商品はまだ完全に揃ってはいませんが、少しずつ品数を増やし、みんなの役にも立ちたいし、自分も商売を通して頑張っていきたいと感じています。
 やはり、店でお客様に対応することが、商いをする人間にとっての生き甲斐なんだと、つくづく感じ、店にいると自分も少し元気がついてきました。

 

宮古市 たろちゃんハウス

-今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

 私は74才です。仮設住宅で暮らしてる人達にも、私と同年代の方々は数多くいます。一人で暮らす人も居れば、家族と暮らす方も。ただ皆さんどことなく元気が無くなってきているような気がしています。手本になるかどうかは別として、まだまだ、生きるために前に向かって進んでいる自分を見てもらい、お年寄りの見本になればと頑張っています。
 いつの日かまた田老での再開を希望しています。仮設店舗に入れたことに本当に感謝しています。
 

【入居仮設施設】

平成23年12月12日取材

企業データ

住所:岩手県宮古市田老向新田149番4(グリーンピア三陸みやこ敷地内)
名称:西野ラジオ店

 

四海楼