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善助屋食堂(宮古市)

-被災前の営業はどちらで行われていましたか。

善助屋食堂 赤沼秋子様善助屋食堂 赤沼秋子様
 田老町川向という場所で、昭和23年から営業しています。海から50メートル位のところに自宅兼店舗の店があり、食堂を主に宴会も含めて私と主人、息子、そして従業員の4名で家庭的な雰囲気で営業していました。
 夫は漁もやっており、その日にとれた新鮮な魚介類を使った海鮮料理などは、お客さんに大変好評でした。中でも全国的に名を馳せている、真崎わかめをふんだんに使ったワカメラーメンは、店一番の人気メニューで他にもよそではお目にかかれない、ドンコの唐揚げどんぶりもなかなか好評でした。

 

-被災の状況をお聞かせください。

 地震の時は、営業中で店にいましたが、本当にすさまじい揺れで、家が壊れるんじゃないかと思うほどでした。揺れが治まった時点で、まず従業員を家に帰し、自分らも間違いなく津波が来ると感じ、愛犬も一緒に急いで避難しました。
 津波後、家の確認に行ったのですが、防波堤内の家もなくなっており、防波堤をすぎてからの光景は想像を絶しました。私たちの暮らしていた集落も家もなにも無くなっていて、もうなにもかも終わったと思いました。
数日後、家財道具を探しに行ったのですが、あれだけあった食器も全てが流れてしまった様で、やっとまだ使ってない50入りのどんぶり箱を見つけましたが、何とか壊れていないものが3個だけあり、涙が出る思いでした。
 

-仮設施設の入居申し込みをされたのはどのようなお考えからですか。

善助屋食堂
 自分たちは犬も一緒だったため、避難所には入れませんでしたので、親戚の家に身を寄せ、これからどうしていけばいいのかを考えては見るもののなにも無く、生まれ育った田老を離れ、2番目の息子(仙台市)の所へ行こうとも考えていましたが、避難所で生活でなじみのみんなからワカメラーメンいつ食べられるのと言った声に押され、やっぱり自分はこれで生きていくしかないと考えテント営業に参加しました。
 ただ、テント営業は規制が厳しく限られた品物しか出せませんでしたので、以前から食べてもらっていた料理を数多く出したいと考え始めるようになり、ラーメンを出すには店舗がなければ無理だと感じ、家族らと様々な所を探していました。願わくば、今の敷地内に建てられればとは思っていましたが、実現は難しいと感じていたところ、宮古市と中小機構が建ててくれる今回の話(仮設店舗)があり飛びついて希望したのです。しかも、無償でとの条件にやっと明るい希望が見えてきました。

 

-仮設施設に入居し事業を再開されて、どのようなお気持ちですか。

 念願かなって、店舗をお借りでき、保健所の心配もなく、やっとラーメンを出せるようになりました。形のある店舗に入れて、品数も増えお客さんにも満足してもらい本当にありがたいと思っています。震災後の絶望的だったあの日と比べると180度の転換です。自分らも含め食べに来てくれる人たちにも、生きていれば必ず良いことがある、一緒に頑張ろうと伝えたい気持ちで一杯です。私たちがそうだったように!津波から逃げていられない。

 

-今後の展望、将来に対するお考え等をお聞かせください。

善助屋食堂
 仮設住宅で暮らしてる人達は、多かれ少なかれ何らかのつきあいがある人達です。まずは、食べたいものを食べてもらい、一緒に笑いながら少しずつ、元気を付けてもらえればと考えています。自分らはまずみんなにおなかを満たしてもらい、元気が出る手助けにと頑張って行きます。ゆくゆくは、みんなまとまって元の町(田老町)の高台で営業をするのが夢です。
 

【入居仮設施設】

平成23年12月12日取材

企業データ

住所:岩手県宮古市田老向新田149番4(グリーンピア三陸みやこ敷地内)
名称:善助屋食堂

 

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