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7月 密航者達は語る

 昨年の今時分だったか、イギリスのドーヴァー港で58名にものぼる中国人密航者が、それも死体で発見された事件をご記憶の方も少なくないのではないか。外気温が30度を超えた真夏の一日、密閉された長距離トラックの後部荷室内に総勢60人が何と18時間も閉じ込められたままであったという。“蛇頭”(国際犯罪組織)に多額の金を支払い手引きを受けて密航したところ迄はともかくも、その結末がこれではまったくやりきれない話である。中国から日本にやって来る密航者達もまた後を絶たない。確か最近も新聞紙上でまた同様の事件を目にしたような記憶が有る。毎年数千人ともいわれるわが国への密航者の約8割が中国からやって来た人達だという。中国人による海外への不法渡航の傾向はここ数年さらに増加の傾向にある。


 このような密航者の数は広い中国の中でも特に福建省出身者が多いという。実は、福建省民の海外渡航の歴史は非常に古い。秦、漢の時代には既に集団で海外に移住していたという歴史を持っている。福建省は、またの名を“華僑之郷”とも言われるほど、中国でも有数の華僑の出身地である。華僑の中には、このような古代からの自主的な移住者に加え、18世紀の後半、アメリカやイギリス、フランスなどの先進列強によってそれらの国々やその侵略地域に強制的に連行され、鉄道建設や鉱山採掘現場等で苦力(クーリー)として過酷な労働を強いられた人々の末裔が数多く含まれる。彼らは、持ち前の勤勉さと、節約精神で財産を築き、定住先や出身地の経済をリードする存在となった人々なのである。現在、同省出身の華僑は700万人以上を数える。数の上では広東省についで第2番目の実績である。斯様な歴史を背景に、福建省の若者たちの間には、今も“華僑神話”なるものが存在し、海外で成功した華僑の先達にあやかるべく、命の危険も顧みず荒海へと船出するのである。しかし、改革・開放後既に20年を越える歳月を経過し、GNPも今や世界第7位に迫ろうかという程の急速な近代化と経済発展を遂げた現在の中国にあって、なお命の危険を賭してまで海外に出て行こうとする人々のその背景にあるものを、ひとつに“華僑神話”のみをもって説明しようとするには少々無理がある。


 福建省の総面積は約12万km2。人口は約3,300万。華東地区沿海部に位置し、厦門市(1980年経済特区)、福州市(1984年沿海開放都市)など中国でも有数の経済先進地域を擁している。因みに、一人当たりの地域国内総生産(GDP)は10,369元、全31省市中第6番目の実績だ。その一方で、省の西側を中心とした総面積の95%は丘陵、山岳地帯であり、広大な農山村部をひかえている。中国では国有企業の部長、課長クラスの賃金が1,500〜2,000元/月程度。一般の労働者は800元/月程度である。それが農村部ともなるとその半分にも満たないところさえある。しかも中国には従来から戸籍の移動に関する厳しい規制がある。農村戸籍の者が都市部戸籍を取得するのは容易ではない。都市部に出て運良く企業等に採用されれば良いが。へたをすれば一念発起して都市部に出た途端に流民化することも想定される。この点、福建省は、あたかも中国全土の箱庭のごとく、ひとつの省内に、富める沿海部と貧しい農村部とが共存し、その双方の間で顕著な経済格差が存在しているのである。実際、これを統計数値で見てみると、福建省都市部住民一人当たりの年間実質所得平均は約6,545元。同じく農村部住民のそれは約2,946元となっている。密航を企てる福建省人の大部分が農民だといわれる所以である。昨年4月以来、中国内陸部では“中西部大開発プロジェクト”が動き始めた。言うまでもなく、沿海部と内陸部との経済アンバランスを解消しようとする一大プロジェクトだ。実際にどの程度のアンバランスがあるのか。中国統計年鑑1998年の実績、一人あたりの地域国内総生産を例にとると、内陸部に位置し中国第4番目の直轄市である重慶市のそれは4,684元。これに対して上海市は28,253元。実に6倍の格差である。あくまでこれはひとつの例であるが、これだけの格差を平準化して行くのは実際並大抵のことではなさそうだ。


 そしてもうひとつ重要なこととして、こうした豊かでない地域に産業を興し定着させるためにはそこに暮らす住民に対する教育の普及徹底が不可欠である。これまで沿海部が瞠目すべき経済発展を遂げて来られたのは、単に要領良く外資を採り込んで来たからばかりではない。沿海部主要都市は、清末以来、早くから海外に向かって門戸を開放しており(1842年「南京条約」)、その結果、諸外国との交流を通じて相対的に既に高い教育水準を確保していたという前提がある。更に、改革・開放が国家あるいは省、市の主導で進められたことにより、受け入れ側もそれなりの人材を配置する事が出来た。したがって経済規模の底上げに寄与し得る高度な機械設備を導入したハイテク産業等も、比較的スムーズに受け入れることが出来たのである。しかし、中国全体で見ると、「文化大革命」(1966〜77年)のあの時代に、あらゆる教育は資本主義の手先たり得るとして真っ向から否定され、教育者は迫害を受け、知識階級は農村に送り込まれ農作業に従事(下放)させられたのである。その結果、中国における初等中等教育特に高等教育においてはズタズタとなり急速に衰退に向かった。その名残か、現在も学校教師のステイタスは決して高いとはいえない。因みに中国において15歳以上の人口に占める読み書きが不自由な者の割合は15.78%(福建省は18.7%。最も高いのはチベット自治区で59.97%)である。さらに、余談ではあるが、現在内陸部には学校を建てるための十分な資金さえ無い所も有る。「希望工程」と呼ばれる慈善活動があるが、これはそうした恵まれない地域に学校を建設するための募金活動である。以上のような要因を踏まえると、果たして“中西部大開発プロジェクト”が、かつて、そして今も沿海部がそうであるように、中西部内陸部でも同様の速度と深度をもって進展し得るかはやや疑問視されるのである。


 こうした沿海部と内陸部の経済や教育の格差による二重構造の問題は、中国が今解決を迫られている最も大きなテーマのひとつだといえる。密航者となった福建省の人々を駆り立てたのはただ単に先祖伝来の“華僑神話”ばかりでなく、このいたたまれない格差がその背後に厳然と存在していることを否定できない。外資企業の進出によって蓄積された富、豊かな世界が手を伸ばせば直ぐ届きそうなところに有る。しかし、この富のおこぼれに預かろうにも、農民戸籍が、教育の有無が障害となる。ならば自ら、富をもたらす豊かな外国に行って一旗上げてやろう。こういうことになる。ただ悲しいかな、“蛇頭”に手引きされるままに乗り物に詰め込まれたところ迄はよかったが、彼らは、自分達がこれから連れて行かれる国が一体何処にあるのか。そこまで要する距離や時間すらも理解出来ていなかったのではないだろうか。ドーヴァー港で発見された人々は、氷山のほんの一角なのかも知れない。ただ一心に、人並みに豊かになることを夢見ながら海の藻屑と消えて行った人々が一体どれ位いるのだろうか。その一方で、危険を冒し長途海を越え、目指す新天地に“無事”到着出来た者の中には、合法非合法は別として、やがて幸運を勝ち得て成功者となり、行く行くは次世代の“華僑”となり、現在の東南アジア諸国や欧米の華僑たちと同様、祖国に富をもたらす者もいるのかもしれない。


 それにしても、400年も前の大航海時代さながらの危険を冒してまで海外に富を求め船出するこの国の人々の姿は正常とは言いがたい。そして、こうした密航者を生む土壌を改善するための効果的な処方箋が見出せないところに中国経済の順調な進展を阻む根深い病巣が見えてくる。


 なお、農村戸籍者の都市部戸籍への移動は、今年になって北京市、上海市等大都市部への移動を除き規制が緩和された。


(※文中の統計数値はいずれも1999年「中国統計年鑑」1998年実績に基づく)