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1月 マカオ(澳門)返還、上海中小企業、そしてミレニアム(ア・ラ・カルト)

 暮れも押し迫った12月の25日、返還直後の空気を直接肌で感じてみようと澳門(マカオ)を訪れました。前日、香港は九龍のネイザンロード界隈や香港島コーズウェイベイの日系のS百貨店やM百貨店、更にタイムズスクウェア辺りをしきりに徘徊し、返還後1年を経てなお英国統治時代のカラーを色濃く残し、一時の衰退状況からすっかり元気を取り戻した街や人々の姿に少しばかりホッとしながらクリスマスイブの一日を過ごした筆者にとって、わずか5日前に返還されたばかりの澳門がどんな状況になっているのか興味津々でした。


 香港島「上環」からジェットホイール(水中翼船)に乗って約一時間、眼前に現れた黄土色の地肌ばかりが目立つ陸地がわずか数日前まではポルトガル領であったことを考えあわせると何かとても不思議な気分になりました。桟橋に接岸する直前、港の施設に翩翻と翻る真新しい五星紅旗を見つけ、ここは紛れもなく中国なのだとの思いを新たにしました。因みに、香港、澳門間は現在でも出入国(類似の)手続があります。人口の95%以上が中華系とのことで、筆者が訪れたときはちょうど返還式典に出席する賓客を迎えるためにタイパ島から中心部に通じる幹線道路脇に特設された桟敷を取り壊している最中で、返還後の昂揚も未だ醒めやらず、かと思いきや、人々は案外淡々と普段どおりの生活を送っていました。


 考えて見ればポルトガル人が澳門に進出したのは遥か400年以上も前からのこと(「ポルトガル艦隊が周辺海域に出没する海賊(中国側はこれを倭寇と言っている)を退治駆逐したため時の明国皇帝がその功をねぎらい澳門への常駐を認めた」とポルトガル青史では伝えられている)。以来、清英両国間に勃発したアヘン戦争の時期を挟んで、欧米各国の対アジア交易の中継点として盛んに人々が行き交う所となり、更にまた同戦争終結に伴い1842年清英間に締結された不平等条約(「南京条約」)に便乗する形でポルトガル領(1887年「葡清条約」)とはなったもののポルトガル本国の国力の衰退とともにかたや英国の植民地となった香港ほどの強力な支配を受けずに来たこともあってか、一日、主権が中国に移ったからと言って地元の人々にとってはそれ自体どこ吹く風的なものだったのかも知れません。


 要するに澳門の方々は我々が考え得る以上に歴史の荒波に翻弄され鍛え上げられているのです。街のあちこちにこれもまた真新しい、お仕着せの、赤地に白で染め抜いたスローガン(「中国の澳門に対する主権行使回復おめでう!」「澳門の祖国復帰万歳!」等)が風に翻っていました。香港に続く澳門の返還は中国ばかりかアジアの諸国にとってひとつの時代の終わりを告げる、歴史上の正に象徴的な出来事であり、確かにおめでたい出来事には違い有りません。しかし、筆者は、誠に不謹慎ではありますが、ごく日常的な澳門の街角にはためくスローガンを目にするたびに、大のおとなが金太郎の、あの「○に金」の字入りの真っ赤な腹掛けをさせられている図を想像してしまうのでした。


 舞台はいきなり変わってこちらは上海市のトピックスです。
 上海市政府は、昨年11月29日、市の中小企業発展支援のための政府関連機関として新たに「上海市小企業発展促進協調弁公室」「市小企業(生産力促進)服務中心(サービスセンター)」「市小企業(貿易発展)服務中心(サービスセンター)」の3機関を全額市政府出資によって設立しました。
 上海市には、類似の機関として、既に昨年10月に国家経済貿易委員会と上海銀行の合作で設立された「上海市中小企業服務中心」が有りますが、上記3機関はこれとはまったくの別組織です。
 業務の仕切りはどうなっているのか、機能上の重複は無いのか、等の疑問を抱きつつ筆者が関連組織の幹部に直接ヒアリングを試みたところ、「上海市中小企業服務中心」は中小企業向けの融資、人材育成、コンサルテイング、を主要業務としているとのこと。これに対して、上記3機関の位置付けと役割は次のとおりです。即ち、「上海市小企業発展促進協調弁公室」は「上海市政府体制改革弁公室」傘下に属しており(協調弁公室のトップ(主任)は体制改革弁公室の副主任)、他の2つの機関の統合調整機関としての役割を果たします。そして2つのサービスセンターは、それぞれ補完・協力しあいながらも前者が主として工業分野の、後者は主として商業分野の中小企業への情報提供、市内の大学・研究所等の施設を活用した技術支援、コンサルテイング、法律相談、他、総合的サービスを提供するとのこと。


 また同サービスセンターは設立と同時に、中小企業政策関連金融機関(「上海銀行」、「民生銀行」)との間で、同センターから推薦(リストの提供)を受けた優良中小企業に対し優先的に融資を行う旨の議定書を締結し、中小企業の経営改善と資金調達円滑化への道も開いています。更に同サービスセンターは、今後、上海市に20余り有る各区県に支所を設けて、情報交流のためのネットワークを形成する計画も有るとのことです。
 因みに信用保証業務については、市政府税政局が一元的に管理しています。
 なお、「市小企業(生産力促進)服務中心(サービスセンター)」の業務は、当面、市政府経済委員会傘下の「上海市区県工業管理局」が所掌するところとなっており、当該センターのトップ(主任)も同管理局副局長が兼任します。また、「市小企業(貿易発展)服務中心(サービスセンター)」の方は、全国工商業連合会上海支会が所掌し、トップはやはり同連合会上海支会副会長が兼任することになっています。


 今世紀最後となる新たなる年を目前に、中小企業の発展を支援すべく市政府が独自に設けたこれらの諸機関が有効に機能することを願って止みません。


 大晦日の晩、折からの2000年問題に、筆者の内なる緊張感も知らず何喰わぬ表情でBSの「紅白」に見入る妻子をよそに、合計24リットルのミネラルウオーターと非常食の備蓄(我が家では上海市内で入手出来るインスタント食品の他、日本の実家から餅を大量に送ってもらいました)、カセット式コンロの準備を済ませ、更に2つ有る浴槽の一つに水を満たし、ベッドサイドには12バンドラジオと懐中電灯を備えて午前0時を待ちました。「行く年、来る年」が始まる頃には何かあるぞ…。しかし期待?に反して何事も起こらず時間はただ確実に過ぎ去って行きます。21階にある我が家の窓から外を見ると、先ほど来、南浦大橋から浦東南路(浦東の幹線道路)にかけて始まっていた車の渋滞が今や完全にストップしているではないですか…。さてはいよいよ始まったか!わざわざ双眼鏡を取り出して信号機の点灯状況を確認するも視界に信号が入って来ないものですから不安のテンションがやや上がります。


 …そして、いよいよその時が…。と、何と午前0時の時報に呼応するように、耳をつんざくばかりの爆竹の破裂音と満を持して打ち上げられた大輪の打ち上げ花火が数十発!しかもそれが浦東の東方明珠タワー付近と市区中心部を取り囲む様にほぼ等間隔で、それも十数カ所から打ち上げられているでは有りませんか!しばし我を忘れて遠く夜空に繰り広げられる芸術に見入ってしまいました。子供達も知らないうちにそばに来て一緒に眺めていましたが、そのうち「屋上に行って来る!」と部屋を飛び出して行きました。ところが、5分とたたないうちに「エレベーターが停まっている!」とがっかりした様子で戻って来たのです。一瞬、ついに出た!と思いかけて、「午前0時を挟んで30分間事故防止のためエレベーターを停止します」との張り紙が有ったことを思い出しました。


 居間に戻りテレビのチャンネルを地元の上海テレビに切り替えると今まさに東方明珠タワーの下では特設ステージを設け、上海市を挙げての「大ミレニアム祝賀ショー」の現場からの生中継を放送しているではありませんか。舞台の上で華麗なダンスを繰り広げる男女、そしてそれを見守る観客等老若男女のどの顔にも満面の笑顔がたたえられています。貴賓席には党書記、市長はじめ市の幹部が勢揃いしています。これで、大渋滞の謎が解けました。つまり市幹部等の当該祝賀ショー参列に伴う交通規制が有ったのです。別にY2Kの影響でも何でもなかったのでした。


 それにしても大上海市を舞台に、2000年問題に備え万全の準備態勢を整えたつもりの筆者を嘲笑うかのごとく展開された「祝賀ショー」でしたが、よくよく考えると西暦2000年を祝う、ミレニアム(一千年紀)の発想はもともとキリスト教的思想に基づくものではないですか。正月がめでたいといって、中国の正月はまだ先(2月4日、旧正月)ですよね。いったい何がめでたかったのやら。まあ、お祭り好きの日本人としては、あまり深く追求する必要はないのでしょうか。


 お蔭様で危機管理の訓練も出来、まずは大過なく新しい年が迎えられて何よりです。新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします!

2000年の元日午前0時を期して打ち上げられた花火

2000年の元日午前0時を期して打ち上げられた花火