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第7回 September 11 Attacks

 "セプテンバー・イレブンス・アタック" ―― 日本の報道では今回のテロ事件を「アメリカ同時多発テロ」とするのが一般的なようですが、アメリカではこのように呼ばれ、テレビ・ラジオからは連日たいていのニュースからこのワードが頻繁に耳に入ってきます。


 今回のワールド・トレード・センター(WTC)ビルへのテロ攻撃の直接の被害者は、確認された死者約450人、行方不明者4,600人、あわせて5千人強(10月上旬現在)にものぼっています。約6,400人が亡くなった95年の阪神・淡路大震災にも匹敵する多数の命が、おそらく同地震が襲った面積の数万分の一にも満たないほんのわずかなエリア(ビルの周辺はせいぜい1km2以内)で一挙に奪われた事実に、テロの恐るべき破壊力と卑劣さを感じ、怒りがこみ上げます。


 一方、日本人で死亡が確認されたり行方不明となっている方は24人(10月上旬現在)で、煙と高熱の中、非常階段を駆け下りきれずにビルの崩壊に包まれてしまった銀行員の方たちの恐怖と無念を思うと、言葉を失います。


 現地のビジネスに関していえば、WTCビルに入居していた企業(28カ国から約430社・従業員約5万人)では、モルガンスタンレー(投資会社)・カンターフィッツジェラルド(証券会社)など、金融関係をはじめとする多くの大企業が目立ちますが、周辺のビルや周囲のエリアには数多くの中小企業が立地し、深刻な被害を蒙っています。
 連邦政府や州政府の施策として中小企業に対する幅広い支援を行っているニューヨーク州中小企業育成センター(SBDC)のデータによると、ビルの崩壊で直接的な被害を受けた中小企業は約16,000事業所、事務所がしばらく使えなかったなど間接的に影響を蒙ったものは、約40,000事業所にのぼり、当初の1週間だけで中小企業が蒙った経済的損失は、14億ドル(1,700億円)といわれています。


 WTCビルに入居していた日本の各銀行の悲惨な被害は言うまでもありませんが、周辺のエリアには飲食店・食料品店などを営む日本人経営の企業もいくつかあり、場所によっては大きな被害を受けたものと思われます。

黒煙を上げるWTCビル(当事務所のあるJETROニューヨークセンターのオフィスから撮影)

黒煙を上げるWTCビル(当事務所のあるJETROニューヨークセンターのオフィスから撮影)

 そんな中、当ニューヨーク事務所が把握している日系中小企業(日本の中小企業が親会社として出資し当地に展開している現地法人)の中で、WTCビルのほど近くに立地し、その影響を蒙ったものの、スタッフ全員の努力で何とかその困難を克服してこられた企業があります。


 『Maruto Noriten, Inc.』は山形市に本社をおく高級海苔・乾物卸『株式会社マルトダイ』のニューヨーク現地法人(1991年設立)で、ニューヨーク・マンハッタンやシカゴ・デトロイトなどアメリカ東部の日本食レストランや日本食材店などに本社製品を販売している会社。スタッフは3人ですが、寿司など日本食ブームをはじめとしたアメリカの大きなマーケットを背景に、年間150万ドルを売上げ、本社事業の大きな部分を担っています。
 WTCビルから北に約1キロはなれたWhite Streetにある1,800平方スクエア(約160m2)の事務所兼倉庫フロアには、日本の通常の建物の2倍もの高さの天井に高級海苔のダンボールが高く積まれています。
 ここに立地したのは、マンハッタンに多い日本食レストランに海苔などをいち早く届けることができるため、といいます。


 『September 11』当日の午前8時45分、通勤のためブルックリン・ブリッジ(マンハッタンとその東のブルックリン区を結ぶ大きな橋)を車で走行中に、一機目の飛行機が突入する瞬間を目撃したという加藤ゼネラルマネージャーは、会社到着後粉じんの立ちこもる中、ニューヨーク市の避難命令で事務所を出たものの、一番気がかりだったのは、その日に入荷する予定だった製品の搬入のことでした。

ダウンタウンのWhite Streetに面したおしゃれな外観

ダウンタウンのWhite Streetに面したおしゃれな外観

 中国から船便で西海岸ロングビーチ港に入り、アメリカ大陸を陸路横断して、ニュージャージー州ニュージャージー・インランド・ターミナル(NJIT)(マンハッタンの西、ハドソン川の対岸)に到着した同社のコンテナは当日会社に配送されることになっていましたが、マンハッタンでの立入り禁止と交通の全面封鎖によって配達不可となり、NJITに戻って保留となりました。
 フォワーダー(配送業者)からは、港に長期保留するのは難しいのでコンテナをどう処理するか問い合わせを受け、急きょ、エリザベス(マンハッタンの西約20キロ)の取引先企業に無理を承知でお願いし、倉庫の通路に保管させてもらいました。入荷の翌日は社員全員がそちらに出向き、当面の配送を済ませて何とか事態を乗り切りました。(その際、各地方の取引先には通常発注数量の倍(2回分)の商品を快く引き取ってもらうなど、この非常事態に大変ありがたい協力を得ることができました。)
 事務所のあるダウンタウンエリアは、テロ発生後5日目に当たる9月16日(日)まで人も車も立入り禁止で、何も手をつけることができない状態でした。翌17日(月)からは、立入り禁止が解かれて事務所に戻ることができたものの(ただし厳重な本人ID確認が必要)、車の進入が許されていないので、毎日発生するデリバリーの商品を台車にのせて立入り禁止区域外に止めてあるトラックまで運ぶ苦労が続きました。そして、9月24(水)以降は、配送伝票(Bill of Lading)を提示すれば車の進入がやっと認められるようになったので、この日以降になって何とか平常に戻ることができました。


 事務所の損壊など、直接的な損失はなかったものの、湿気をきらう商品の性格上、保管・搬送のやりくりが綱渡りだったほか、業務につけなかった1週間はまるまるロスしたことになります。(結局9月は15日間しか営業できなかった)

テロ発生現場付近の地図

テロ発生現場付近の地図

 とはいえ、1キロ離れていて被害がこの程度で済んだのはむしろ幸いで、「例えば空輸が欠かせない鮮魚を扱っている会社などは大きな打撃だっただろう」(荒木職業指導員)、と知合いの事業者を気遣うほどに回復することができました。


 WTCビル崩壊後1ヶ月以上が経ち、その『Ground Zero』(爆心地といった意味で、ビル崩壊の現場を指します)は多くの人々の努力で瓦礫が取り除かれつつあり、周辺のビジネスも徐々に復帰しつつあります。


 事件後のさまざまな対応の中、ジュリアーニ市長が復旧の激務の一方で、ヤンキースの野球帽をかぶり、みんなでニューヨークに遊びに来てほしいと世界に呼びかけるなど、悲しみと困難の中にもとにかく前進しようとする姿勢がいろいろな面で溢れています。また、ビルの窓やマイカーの屋根など街中のいたるところにアメリカン・フラッグ(星条旗)が掲げられ、第二の国歌ともいわれる「God Bless America」(アメリカに神の加護を)があちこちで歌われるなど、多くのアメリカ人たちが、営々と受け継がれた愛国心で自らを奮い立たせ、苦悩に耐えようとしていることを感じさせられます。

荒木職業指導員(左)と加藤ゼネラルマネージャー

荒木職業指導員(左)と加藤ゼネラルマネージャー

 ブッシュ大統領が重大な局面ごとに行う演説などを耳にするにつれ、許しがたいテロ行為を断固として糾弾し、アメリカの自由と誇りを守ろうとする強い意志を感じます。
 がしかし、全ての人たちがそうかというと必ずしもそうではなく、大統領が「This is a new war.」 といって即座に軍事攻撃を宣言したその時からすでに、武力による攻撃に必ずしも賛同できず、いずれもたらされるであろう新たな犠牲と混乱に胸を痛め、不安に苦悩している数多くの人たちがいるのもまた現実です。


 今回のテロは、航空会社や観光業界をはじめ幅広い企業部門で収益減を招き、また大幅な人員削減の動きなどがさらなる消費の落込みをもたらし、回復が期待されていた米国経済や、ひいては世界経済に深刻な打撃を与えつつあります。現在、不気味な広がりをみせ始めている化学テロや、軍事攻撃への新たな報復活動に不安がつのりますが、国際的なコンセンサスのもとで事態が改善し、平和と平常の経済活動が戻ることが強く期待されます。

国じゅうではためいている星条旗

国じゅうではためいている星条旗