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第87回「小さな発見」

  • 4月の執筆者はチーフアドバイザー(ものづくり)大村卓一です。

    「小さな発見」

    団地の公園には使い込んだ遊具が備わっている砂場付きグランドがあります。
    平日の午後は子供たちが入り乱れてワイワイガヤガヤ、中間試験が終わった近くの高校生グループがサークルを作りサッカーボールを回している姿を見ることもあります。ボランティアの方が定期的に遊具の点検をしたり、雑草取りや清掃活動を継続していただいているお蔭で、みんなが集う快適空間が出来ているのです。
    春にはいろいろな同好会がお花見やミニゲームを催したり、夏には盆踊り、秋には地域のお祭り、冬には避難訓練の集合場所にもなります。団地の中心です。私も散歩の行き帰りに始終立ち寄る場所です。そんな公園での出来事を紹介します。

    平日の静かな時間帯、若いお父さんと一緒に遊びに来ていたよちよち歩きの男の子が、滑り台に取付いているのが目に留まりました。両手で梯子の両サイドを握り1つのステップに2つの足を乗せていましたが、やがて、ゆっくりと1つの足を離して1段上の梯子に載せはじめました。その足が上のステップにかかると次の動作は梯子のサイドを平行に握っていた1つの手を少し高い位置に移動する。この動作を繰り返すことによって高い位置に体を移動してゆくのをしばらく眺めていました。その梯子は太鼓橋形状になっており、最上段のステップは滑り台の最上面と同じ高さで、最上段の水平部分のステップを少し移動することによって滑り台の上段に行き着く構造になっています。梯子が地面とほぼ水平になる部分にとりかかってしばらくすると動かなくなり、彼は「これムリ」と云ったのです。

    このくらいの幼子は見たものをそのまま表現する名詞しかしゃべらないだろうと思っていたのでびっくりしました。何かを認識し、それに対する知見(判断基準に基づいてなされた情報処理結果、それを意識と呼ぶようです)を表現したのです。「え! もうそんなことを言うの?」
    「意識はどのようなプロセスを経ていつごろから生まれるのだろう?」
    という疑問がわいてきました。

    明らかに、「ムリ」という言葉を発するまでに、彼は気付いているのかどうか判らないけれど自分がしようとしていることと自分の能力とを比較し、前者は後者を上回っていると判断して、「ムリ」という言葉をパパに向けて発信したのです。
    しかし、失敗した経験がなければ判断基準はできないのではないかと思います。
    こんな幼子に如何ほどの経験があったのだろうか? 
    経験に基づくものでないとするとそれは生まれつき備わっている判断基準に従っていたということになります。同じような子供がその場に臨めばみな同じことを言うのであれば私もびっくりはしなかったはずである。
    あれこれ考えるのですが、一番良い方法―直接彼に聞いてみること─も出来ないので結局以下のような一人合点をすることにしました。
    梯子を上り始めたとき、目に映る景色は梯子のステップの向こうにある公園のフェンスやその向こうの道路を行き交う自動車であり、自分がいる高さを感じることはなかったのですが、歩を進めてゆくうちに視界は地面ばかりになってきてその距離がゆっくり遠ざかってゆく。しかもそれまでほとんど手には重さを感じなかったのに、今は4つの手足に均等に荷重がかかってくるので、どれ1つも動かすことが難しくなってきたのです。高所にいるという恐怖感(生まれつきの持っている感性?)と、体重を3点で支えながら重心を移動させなければならないと云う初めての経験に対する不安とが幼子にその言葉を発っせさせるきっかけとなったのでしょう。

    しかし、切羽詰まった緊急時に「ムリ」という難しい言葉を的確に使ったことは彼の言語の資質の高さを物語っていると思います。周囲の人が「ムリ」と云っていたのはどんな時だったのかを咄嗟に思い出し正しく使ったのです。

    これからも小さな発見がありそうな公園には度々足を運び、声掛けを続けてみるつもりです。そのためには、年齢差、性別、そして様々な経験をしてきた人たちが自然に集まってくる快適空間づくりにも積極的に参加して行こうと思っています。

    今度あの子に会ったらどんなことを喋るのか、再会が楽しみです。

    ものづくり支援チーフアドバイザー 大村 卓一

    ※このコラムは2016年4月6日に配信されたメルマガ「広島校だより Vol.115」に掲載されたコラムです。メルマガ「広島校だより」を配信希望の方は、広島校だよりからお申込みください。