トップページ > 経営支援・相談 > コラム「モノ・知・技」 > 第78回「行動すること」

第78回「行動すること」

  • 7月の執筆者はチーフアドバイザー(ものづくり)大村卓一です。

    「行動すること」

    「見る」ことと「待つ」ことについてはそれぞれこのコラムで取り上げました。脳細胞の大半をこのプロセスに費やしているという脳科学者の証言と、大半の時間をそのために充てているという作家の証言を引用し、わが人生の節目の出来事を思い浮かべながら、「見る」ことと「待つ」ことは人を代表する言葉であることを納得させられていました。

    もう一つ、というよりそれ以上に時間や労力を費やし、これぞ人を特定するものと思っていたことは

    走る、投げる、飛ぶ、伸びる…足・胴体が主体の運動   基礎体力 
    切る、曲げる、貼る、削る…道具を使った手が主体の動き  匠の技
    泣く、笑う、怒る、話す…内面を映す顔が主体の動き  表現力

    で、「見る」/「待つ」の中間にあり、その原因を作り出していることなのだがそれをまとめてどう表現するかをずいぶん長い間考え悩んでいた。
    「聞く」や「読む」という重要な所作もあるが、手段が違うだけで「見る」と同じことをしているのであえて取り上げていない。最近やっとその単語を選定することが出来た。

    それは「行動する」こと。主体となっている筋肉の動きを制御する動作だ。

    「そんなことに無駄な時間を使っているの? もっとやることがあるでしょ!」という声が聞こえてきそうだがやっとこの言葉に辿り着いて自己満足している。「行動する」の質を高めるために繰り返し色々な研鑽を積んできた。強く、早く、正確に動かすことが出来るように鍛えることによって成長してきた。足・胴体、手、顔の筋肉を繰り返し動かすことによって微妙な表現ができるようになってきた時の喜びは格別であった。今でも続いているものがある。しかし、多くのことは努力のわりになかなか上達していない。
    それに気づかされたのは仏教のことば、懺悔文だ。

    我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう)
    …私が昔から造った数々の罪とがは、

    皆由無始貪瞋痴 (かいゆうむしとんじんち)
    …貪り、怒り、おろかさがもととなって、

    従身口意之所生 (じゅうしんくいししょしょう)
    …体や言葉や心を通して造ってきたものであります。

    一切我今皆懺悔 (いっさいがこんかいざんげ)
    …私は今ここにそれらの一切を懺悔します。

    所悪業の部分を沢山のチャレンジが成就しなかったという解釈に置き換えて要約すると、所作(「行動する」)は貪瞋痴と云う心を反映して現れるので筋肉の動きだけを研鑽しても成果は限定的になります、と云うことになる。これまた至極もっともな話だ。心、すなわち考え方を変えない限り大きな成長はないということは懺悔文が出来た太古の昔からわかっていたことなのだ。
     

    しかし、努力しなくてもハイレベルに所作(?)がある。心臓に代表される臓器や器官の筋肉を動かし、何も不平を言わず間接的に「見る」/「行動する」/「待つ」のサイクルをサポートしてくれている。どの様なお礼をすれば長持ちしてくれるのだろうか?

    殆ど「ガッテン」と手を打つ準備をしていたのだが私には全く取っ掛かりさえ分からない領域が広がっている。

    ものづくり支援チーフアドバイザー 大村卓一

    ※このコラムは2015年7月1日に配信されたメルマガ「広島校だより Vol.106」に掲載されたコラムです。メルマガ「広島校だより」を配信希望の方は、広島校だよりからお申込みください。