トップページ > 経営支援・相談 > コラム「モノ・知・技」 > 第33回「待つことについて」

第33回「待つことについて」

10月の執筆者は、チーフアドバイザー(モノ作り)大村 卓一です。

「待つことについて」

 9月12日は中秋の名月でした。萩とススキを花瓶に放り込んで、衣かつぎを小鉢に盛り付け、徳利を傾けながらお月見をしました。良い天気ではめったに巡ってこない月齢15.0の完全無欠の満月を期待しましたが、その時間帯に月と同じくらいの大きさの雲が集ってきて完全な形ではありませんでした。うす雲がかかっている場合にはお盆の円周までぼやけてくることがありますが、この時は見えている部分は月のウサギや雲の輪郭も鮮明でした。とても風情のある月見でた。

 

翌日は少し高い位置に来ている完全無欠の満月と言ってもよい様な十六夜の月を気の置けない仲間とほろ酔い気分で眺めました。十七夜の月は寝床からでした。この頃の月を昔の人は、立待ち、居待ち、寝待ちなどと呼んでいたそうです。何故そんな言葉が出来たのだろう? しかも、十三夜や十四夜など満月以前の月には名前がないのに、それ以降の月だけに付いている。

 

折角お月見の準備をし、月を待っていたのに雨が降ったり曇ったりして期待通りの月見が出来なかったことが多かったのではないだろうか。中秋の名月は1年先まで待つしかない。しかもその頃計算されていたかどうか判らないけれど月齢15.0の月に巡り合えるのは何年先なるかわからない。完璧でなくてもそれはそれで風情と言う事にしよう。叶わぬならより近いものを見ておこう。そう言って2〜3日月見に挑戦していた人たちがそんな言葉を作って、歌に詠みこんだりして不運を慰めあったと言うのが真相ではないだろうか。

 

神の支配する自然現象を受け入れ、好とするためのポジティブ人間の知恵だったのだろう。

 

待つ人の話もう一つ
今年のパナソニックオープンゴルフ大会は、最終日、最終組の3組前を回っていた平塚選手が前日までの4打差を逆転して優勝した。「人事を尽くして天命を待」っている時間(30分くらい)にはどんな心の動きがあったのだろう?

 

平塚選手が最後のストロークを終えたとき、2位の選手との差は2ホール残して1打だけだった。逆転可能な状況だ。翌日の新聞などには自分が最終ホールを迎える前に勝利を確信していたとのコメントを載せていたが、最終組が上がってくるまでの時間をパットの練習をしたり息子さんと戯れたりする姿を捕らえているカメラには傍目にも集中できていない様子が映し出されていた。取り損ねたホールでの不運や些細なミスを嘆いたり、このゲームで勝敗を分ける相手の最後のラッキーが頭をよぎったりもしていたはずだが、女神を信じようと騒ぐ心を落ち着かせていたのだろう。人事を尽くしたあとだから、天命を待つだけだったのだ。

 

ゴルフの勝敗のもう一つの決し方は、最終日を最終組で回り最終ホールを迎えた贔屓選手の最後の1打で決まると言う最高の場面である。自分には生涯巡ってこない状況を疑似体験させてもらっているような気分にもなる。微妙なタッチが要求されるストロークでクラブがボールに当たった瞬間に勝敗が決着する。この状況に待ち時間はない。機微を挟む余地が少ないような気がする。しかしいずれにせよ、プロの世界は相対評価に決まっている、僅差でも決着が付いたら敗者は勝者を称え、及ばなかったことを反省し、次回に望む姿が爽やかですがすがしい。

 

99パーセントはただ待っているだけ、と太宰治は待つことを悲観的に捕らえていたが、許容しようとすれば出来るケースも半分はあるはずであり、中にはとてつもなく素晴らしい結果をもたらす待ちもあるのだ。


チーフアドバイザー(モノ作り)大村 卓一  

 

 

※このコラムは2011年10月5日に配信されたメルマガ「広島校だより Vol.061」に掲載されたコラムです。メルマガ「広島校だより」を配信希望の方は、広島校だよりからお申込みください。